はじめに

こんにちは!CGM(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送って11年目のでんでんです。

前回は「神様って本当にいると信じているの?」という質問に答えました。
その中で、「神様の存在を疑うことはないけれど、神様を疑うことはある」と書きました。
……どういうことやねん!!!って思われる方もいるかと思います。

神様がいると信じていることと、神様の考えていることや、なさることを全部理解できることは、また別の話なんですよね。

今回は、信仰生活を送る中で神様を疑ったことがあるのか、そんな時にどう向き合っているのかについて書いてみようと思います。

神様を疑ったことはあるの?

はい!あります!!!

私の人生の中では大きく2つの疑いがあります。
①礼拝に出る前(バイブルスタディ中も含む)の疑い
 →本当に神様は存在しているのか
②信仰を持って礼拝に出てからの疑い
 →これは本当に神様の御心なんだろうか

こんな感じです。皆さんはどうでしょうか?

どんな時に神様を疑うの?

<礼拝に出る前>
・世界でいろんな宗教がある中で、なぜ聖書の神様だけを信じる必要があるのか
・神様だとはいうけれど、何をもって全知全能なのか
・神様だといえども、今を生きる人間に関係ないんじゃないの?
・そもそも本当に存在してるの?

<信仰を持ち始めてから>
・これ本当に神様の御心なんだろうか
・なんで神様この状況放っておくの?
・教会の人たちと同じことをやってるはずなのに、自分だけ報われていない気がする
・なんで今のこのへなちょこな私にこの使命が来てるんや…!

神様を疑うことに罪悪感はないの?

はじめはありましたが、最近はないです!
なぜなら、疑いは「神様のことを今以上に知れるきっかけ」になるんだなとわかったからです。

もちろん、疑問や不満を抱えたまま、神様と向き合おうとせずに放置するのは良くないと思っています。

疑うこと自体が問題なのではなく、疑いをきっかけに神様から心が離れていくのに、そのままにしてしまうこと。
そういう状態になっている自分に気づいた時は、罪悪感を覚えることもあります。
だからこそ、疑問が生まれた時には、できるだけ神様に直接聞いてみるようにしています。

疑問や不満を抱いた時、どうしているの?

まず何よりも先に祈ります。
文章がまとまってなかろうが、言葉が綺麗じゃなかろうが、1分しか祈れなかろうが、どうだっていいんです。
まず神様の前に進み出て祈ります。

言葉がぐちゃぐちゃでも、真実にお祈りするなら神様はうまーく解釈して受け取ってくださるなという実感がありますのでね。

そこから、分析してみたり、聖書や御言葉を読んだりします。
あとは自分の中で『この人の神様を掴もうとする姿勢が良いんだよな』と感じる人を参考に、神様が何を考えてこの状況にさせてくださっているのかを分析して、今自分がすべき行動を割り出したりします。
それでもどうにかならなかったら、周りの人と話してみたりしますね。

疑いが晴れないこともある?

自分が思っているより大きい疑いだったら、『70%は解決して、もう30%はしばらくそのまま』みたいなことは結構ありますよ。

生きていても、何かが1つ解決したと思ったら、また別の方向から新しい問題が出てくる時もたくさんあるじゃないですか。
信仰生活もそんな感じです。

その時に「あの時の疑い、レベル1だったか〜」と気づくんですね。
「何回も似たことを繰り返してレベル30ぐらいまで来たけど、まだ先がある感じやなあ」と思いながら、神様と向き合っていることもあります。

RPGのステージを進めているみたいなもん、だと思えば全てがはっきり解決しなくても結構気楽に考えられるので、信仰のライフハックとしてお伝えしておきますね。

それでも神様を信じているのはなぜ?

文字だけ読むと、「こいつ結構フラフラしてるな」と思われるかもしれませんね。

それでも神様をなぜ信じられるのか。
・なぜ神様はいるのか
・人間はどういう存在なのか
・なぜ人間には”信仰”があるのか
・なぜ見えない世界に想いを馳せる時があるのか
・生きる理由はどこにあるのか
などをバイブルスタディで学んで、現実世界を見ながら確認して、信じるに値すると判断しているからです。

そして、実際に信仰生活中にたくさんの疑いにぶつかっています。Vol.14で紹介した新卒の職場の状況とかね。
教会活動の中でも「何これ」「神様これ、どうしろと?」ということがたくさんあり、その度に疑問に思ったり、「流石にこれは信じられないんじゃない?」と思うことにもぶつかっています。

その度に、「これは本当に神様の御心なんだろうか」「この状況にはどんな意味があるんだろうか」と考えながら、祈って、調べて、実践してきました。

すべての疑問が解決したわけではありませんが、そうやって自分なりに納得できるところまで向き合ってきた経験が、今の私の信仰を支えているんだと思います。

実際に「自分で確かめて、納得できたところまで実践している」からこそ、続けて信じられるのかもしれませんね。

よくある質問

Q. 神様を疑うことは、信仰が弱いということですか?
→ 疑うこと自体は珍しいことではないので、そこで「弱い」と決めつけることはできないですね。
弱いのが嫌なら、疑いを乗り越える経験をたくさん積んで、疑いが出る状況になっても「神様がどうにかしてくださるから、私はやることやろ」と思える強さを持てるようになれば良いと思います!
以下のような聖句もありますので、私はその域に至りたくて挑戦中です。

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

ヘブル人への手紙 11:1 口語訳

Q. 疑問が解決しないまま、教会に通い続けてもいいのですか?
→はい!疑問があるからといって、すぐにすべての答えを出さなければならないわけではないと思います。

私の場合、疑問の解決方法には大きく2パターンあります。
① 教会の牧師さんや、御言葉を教えてくれる講師の方に聞いて解決するパターン
② 自分で祈ったり、考えたり、実践したりしながら、時間をかけて解決するパターン

私は②が多い人間ですが、①が必要な場合も往々にしてあります。

もちろん、納得できないことを無理に受け入れる必要はありませんし、誰に相談するか、教会に通い続けるかも含めて、自分で考えて決めてよいと思っています。
疑問がある時は、一人で抱え込まず、安心して話せる人に相談してみてくださいね!

まとめ

ということで、今回は「神様を疑ったことはあるの?」という質問に答えてみました。

結論、あります!
しかも、11年間の信仰生活の中で何度もあります!笑
ただ、信仰を持つ前と今とでは、疑いの内容も、向き合い方もずいぶん変わりました。

以前は「そもそも神様っているの?」と考えていた私が、今では「神様、これって本当にあなたの御心なんですか?」と祈っているわけです。
どうしてこうなった。笑

でも、疑問を持ったからこそ考えたこと、祈ったこと、気づいたこともたくさんあります。

私にとって神様を信じるというのは、何も疑問を持たず、すべてを理解している状態になることではありません。
わからないことがあっても、その都度神様と向き合い、自分なりに確かめながら生きていくことなんだと思います。

これからもきっと「神様〜〜!どういうことですか〜〜!」と思う日はあるでしょう。
それでも、その疑問を持って神様の前に進み出られることも、私の信仰生活の一部なんですよね。

もし今、神様を疑ってしまうことがあっても、疑問を持った自分に落胆しなくていいと思います。

すぐに答えが出ないこともありますが、疑問をきっかけに考えてみたり、祈ってみたり、誰かに相談してみたり。
そんなふうに、自分なりに納得できる答えを探していくことも、信仰生活の一つの形なんじゃないでしょうか。

少なくとも私は、そうやって11年間歩んできました!

次回予告

今回は「神様を疑ったことはあるの?」という質問に答えてみました。
神様を信じているからこそ、疑問に思うこともある。そんな私の信仰生活についてお話ししました。

さて、次回はもう少し踏み込んで、
「信仰を辞めたいと思ったことはある?」
という質問に答えてみようと思います。

11年間続けてきたからといって、ずっと同じ気持ちだったのか?
そのあたりも、私自身の経験からお話しします!

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 企画職やってます。多趣味な人間。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。