「要領良く」ってほんまに大事(いきなりどうした)。
こんなタイトルつけといてあれなんですが、
私、要領いいんですよ(自分で言うなや)。
先々週に「長所短所」って主題で御言葉がありましてね。「長所を探しなさい」ってめっちゃ言われてたんですよ。日曜だけじゃなくて明け方とか、水曜日とかにも。
でもね、見つけられなかったんです。
「どーせ私なんて」「他の人も同じようにできるし」とか思っていたんですよね。今思うとここ数ヶ月間は<超ひねくれ期>を過ごしてるわ。笑
でも今日、社会人組の集まりがありましてね。
その時に言っていたことを私なりに抜粋すると、
全力で取り組むのはもちろん美しいしかっこいいんだけれども、<得られるものに見合った働き方をすれば良い>。<要領良く>やるのです。
だから私は御言葉を聞いてこう感じたのです。
「おいおい、要領良いのってバリバリ長所やん」。
私が一番大事にしていることは『信仰生活』なんですよね。
いかに神様を愛し、賛美し、御言葉を聞いて、この人生を生ききるか。
すっごくざっくり言うと『永遠の命である霊』のため、『永遠に天国で楽しむため』に生きているわけですよ。
これに命をかけているわけです。(「笑」ってつけようとしたけれど、真剣だからやめた😂)
だから仕事するときも
「いかに定時で帰るか」
「いかに神様と一緒に仕事をするか」
「いかに効率的かつ省エネで仕事をするか」
ってことを毎日考えていたんですよね。
早く仕事終わったら信仰生活のあれこれをする。祈ってみたり、賛美してみたり、御言葉を読んでみたり、作業したり、ブログ書いたり・・・。
でも数年(私は4年目)職場に通っていると、色んな人と関わると色んな考え方に出会うわけです。そしたら
「お金もっと稼がなあかんのかな」
「帰れるけれど残業したほうがいいのかな」
「みんなが怖がっている人、私は失礼はないようにしてあしらっているんやけどこれでいいんだろうか」
とか思うようになっちゃっていました。
「いやでも私が優先させたいことは<仕事only>じゃなくて<仕事を含む信仰生活>だから、ちょっと仕事を手抜きしても押さえるところはクリアしているから問題ないんじゃないか」とは思っていたんです。
でも確信が持てなくなっちゃっていました。
色々気にしていたけれど
要領良くやってたことだったわ。
無問題。モーマンタイ。
もし「要領良い」じゃなくて「やらなきゃいけないことをサボっている」なら自分にツケが回ってくると思う。仕事で何回も痛感しているw
それから、自分が「要領良くできてるわ〜」と思うときにどうしているかを思い出してみました。
一番外しちゃいけないものを押さえている
つまり
優先順位がはっきりしている
そういう時に要領良く行動できているな〜と感じています。
プライオリティー、<どこに価値を置くか>ですよね。
信仰生活始める前は「自分が楽しめる」「ためになる」「新しく知れる」「みんなも楽しい」が私の優先順位を決める物差しでした。
物差しがあるだけで本当にその時にやらなあかんことが見えるんですよね。これってすごいよなあ。
もちろん(?)信仰生活を始めたら「御言葉通りに生きる」「霊を生かすこと」「生活の色々(明け方の礼拝、礼拝、教会の集まりなど)」が最優先になりました。
かといって、以前の私好みの物差しをなくしたわけではありません。
信仰生活を中心にしてある程度「これはやりたい」「これはやらない」を分けた後、<信仰生活を中心にやりたい・やるべきことの中からさらに優先順位をつける時>に私好みの物差しを使います。
そしたら近い将来がすっと見通せるんですよ。
見通せたら一気にやる気が出るので、要領良くやるの好きなんですよね。
自分の個性がまた1つはっきりとモノにできてホクホクしているそんな夜。