間違って受け取ることで損しちゃうことってたくさんあるのよな。ほんまに。
職場でも、神様との関係でも、教会でも起こりえちゃうのよ。
気遣いの言葉も「怒られてる・・・!」って受け取っちゃうし、
励ましの言葉も「お世辞言われてる・・・!」って受け取っちゃう。
冗談も「本当にそう思ってるんだ・・・!」って受け取っちゃうし、
何気ない言葉でも「じゃあ私あかんやん・・・?」って受け取っちゃう。
誤解することに一切のメリットなし。
それでもしてしまうのが人間というものですわ!
ほんまね、もどかしいよね〜〜。
だから「誤解しないように工夫することが必要なんだな」と最近思うわけです。
まあなんにせよ祈りと御言葉なんよな。
・・・そうなんやけれど、祈るにしろ、御言葉を中心にするにしろ、なにかしら具体的な手段は必要だから、メモがわりに残しておくよ。
・誤解しないこと(特に御言葉と神様の心情に対しては)
・正しく理解できるように祈り、そして努力すること
・目の前に見えるものだけで判断しないこと
・物事には経緯があるからそれをしっかりと知ること
・普段から自分の考えていることや感じていることを具体的な言葉で表現できるように整理しておくこと
・言葉のニュアンスは人によって違うから、同じ認識を持てるように「それってどういう感覚?」と話してすり合わせること
この辺が課題だな〜〜。
この感覚を持って、御言葉と祈りをすれば、大体のことはどうにか脱出策が見つかると思っています。
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