昨日思った話。
「広い視野を持っていきたい」
「多様性を身につけたい」
「世界基準で物事を見たい」
「いろんな人に影響を与えたい」
そうやって思うことはあると思います。
「人生一度きりだから色んな経験をしてこそ多様性が身につく」と思っていました。
他の人がやらないようなことを挑戦することに意義があると思っていたし、知らないことはもったいないと思って色んなことに偏見なく触れるように努力してきたし、周りの人たちがするようなことより一歩最先端を行くことが「より良い人生を生きている」ことだと思っていたし、「人生を享受する方法だ」と思ってました。
間違っちゃいないんですよ。
それで学んだことってたくさんあるんです。実際、周りを見ながら「これはいいな」「これは真似しない方が良さそう」と思って行動していたので、視野を広げることが私の基礎を作ってくれた…そんな感覚になりました。大概のピンチや困難を乗り越えられるような力を身につけられたんじゃないかなと思っています。
でも、足りないんですよね。
足りないという言葉は語弊があるかも。
「きりがない」んですよ。「終わりがない」と言いますか。
いくらやっても『やりきった!極めきった!』と思えないんです。あれもこれもそれも見えちゃって、どれもこれも良いと思えちゃって、「自分の物事の判断基準や選定基準をどこにおけばいいんだ」となってしまう。
それでもまだ、なんとなく周りの人たちと比べて「まだ自分の方が楽しく人生を生きてそうだからこのままがいいかも」と思っていました。
でも、御言葉を学んでから気づきました。
『「核心を知る」ということが広い世界を見る方法なんだ』と。
「いろんなものと多くの人とありとあらゆる思想で溢れているこの世の中で、小さな核心を知ったところで何になる?」とか思うじゃないですか。
でもね、『核心』って「なにこれ魔法!?」と思えてしまうぐらいのポテンシャルを秘めているんですよ。舐めることなかれですよ(ちょっと自分に改めて言い聞かせている。笑)
球技している人、ボールの中心を掴めば思うようにコントロールできるじゃないですか。
楽器吹いている人、息の吹き方がヒットしたときにめっちゃ良い音出るじゃないですか。
何かある出来事を見たとき、その核心にヒットできる思考回路があると物事全てを把握することができるんですよ。
「核心を掴む=ヒットする」ことなんだなあって感じます。
そしてその核心を掴む最高の方法が、核心を学ぶこと。全ての言葉の核心は神様の御言葉なんだと。
神様の御言葉ってシンプルなんですよ。
私があれやこれやたくさん説明するようなことも一言で伝えてくださいます。
ここまで1,038文字使いましたけれど、御言葉ではこうです。
2015.7.1 水曜礼拝「<核>を手に入れなさい。」より
終了!!!
一言!!
一言ですね神様!!
シンプルですよ本当!!So simple!!
しかも、ただ言葉が短いだけではなくて、ありとあらゆる状況に当てはめられる万能さも兼ね備えている!!すごい!!!
神様褒め称えたら昼休憩終わりそう。仕事に戻ろう〜。午後も頑張りましょう〜〜。