私も人間を26年間やっているんですけれども。
やっぱり「人間」って面白いわけですよ!
人の体はどういう造りになっていてどんな機能があるのか、存在していることがどれだけ奇跡なのかを感じる『人体の不思議』にも興味がないわけではないですが(ややこしい)、『感情から生まれる行動』にものすごく興味があるのです。
自分や周りの人が「何を考えて、何を感じて、何をしているか」を観察するのが好き!
これだけ書くとやばいやつみたいやな・・・笑
生い立ち、経緯、環境、経験で幾重にも将来がわかれる。性格がわかれる。思考がわかれる。行動がわかれる。感情がわかれる。そして1人でいることもできるし、みんなでいることもできる。仲良くもできるし仲違いもできる。同じ環境にいても、生きる中で「現在=過去を積み重ねた結果」が全然違う。これぞ個性。ものすごく面白いんですよね。
だから私は毎日人間を見ては「なんだ、この存在体は」と常々思っているわけです。なんなら自分自身に対しても「なんや私、おもろいな」とか思っているわけですよ。
特に私は『感情』の部分が面白いと思っています。
『感情』と『環境』から織り成される『行動』が本当に面白いんですよね。
喜びが出るにしろ、悲しみが出るにしろ、怒りが出るにしろ、すべてに理由があるわけで。
過去の生い立ち、その時の状況、気持ち、描いている未来。それらがすべて噛み合って『今』が生まれているわけです。『この瞬間』があるわけです。だから『今』を味わってこそ「人生の醍醐味を知っている」ことじゃない?って思っていました(今もまあそう思っている)。
だから私の趣味は『人間観察』です。
自分や周りの人にまつわる『今』がどのように作られたのかを理解しようと(勝手に)歩み寄っていました。
自分の『今』と友達の『今』を深く見てみると、「感情の流れを理解しコントロールすることが人生を楽しく生きるコツなんだ」ということも学ぶようになりました。
そしたら「人間って興味深い」と思い始めました。その感覚は間違っていなかったようです。聖書の御言葉を学んで確信しました。人間ってマジで傑作品。感情を理解して分析して落ち着かせることができるのも御言葉。いかなる時代や環境でも揺るがない真理は最強である。
そうやっているうちに、様々なことを考えるようになりました。
人間はどうやったら笑って生きられるのか、人間はどこへ向かいたいのか、人間が生きる意味とは、人間として生きて死ぬには。
どの部分が刺激されるとその感情が生まれやすいのか。
何が足りなくて怒りと悲しみの感情が出てくるのか。
逆に何を持っているから喜びが出てくるのか。
どこに辿り着いたら人生成功したと言えるのか。
めちゃめちゃ分析して考えました。
他人もそうですが、自分自身が最高の観察対象だったんです。自分のことがよくわかると他人のこともよくわかる。
小説とか漫画とかアニメとか映画とかで描かれる人物の感情変遷も非常に参考になるのですが、やはり『今』をリアルに生きている人間と触れ合って学ぶのが楽しいわけです。
ちなみに、唯一答えが出なかったのが「どこに辿り着いたら人生成功したと言えるのか」という問いでした。答えは聖書にありました。
私にとって友達や親や職場の人は<観察対象>なんです。
だから基本的には人の行動に対して我関せずで口出ししません。「そのまま自分の人生に向き合って生きてみなよ。逃げてもいいし愚痴ってもいいじゃん。諦めるのだけはやめようや。不安なら御言葉学びな。確実だから」って思います。
ある意味薄情なのかもしれませんね。私は自分のことを「薄情なやつだなあ」と評価している節があります。
人生に物足りなさや限界を感じる人には『その段階まで生きたんだね!すごい!そしたら神様に出会わなきゃ、なんで生きてるのかを知らなきゃもったいないよ!』と伝えますけれどもね!笑
観察は楽しいです。
自分では経験できないことも他人を通して追体験することができる。自分の人生は自分にしか歩めませんからね。他の誰にもなれないんですよ。でも人から話を聞いたり一緒の立場になっている想像をすることで少しは他人の人生も味わえるんですよ。
もし自分がその立場だったら・・・。
そうやって考えたら私の思考回路にも幅が広がりました。そして人の生い立ちや一生を否定することはできないということに気づきました。「その人らしさ」の現れですからね。本当に「個性」を感じる瞬間でもあります。だからその人のことが知りたいんですよね。ゆえにめっちゃ質問したり話を振ってみたり観察したりします。もう癖ですね。笑
今を生きている人たちを見たら、
「毒を吐くこと」でどうにかしたり
「許すこと」でどうにかしたり
「分析すること」でどうにかしたり
「諦めること」でどうにかしたり
「自分を変えること」でどうにかしていたりする。
なんというかそういうのを見て、自分自身もやっていると「あぁ、生きているなあ。人間だなあ」ってしみじみ思うんですよね。面白い。深めたい。
そう考えると文化人類学のゼミに入ったことはものすごく良い選択だったんです。今思い返しても楽しかったわ。いろんな定義や定説に頭は痛くなったけど。笑
だから聖書ってすごいんですよ。
人間を造った神様の目線の話だから。
「神様って人間をこういう風に見ていたんだ!はーん。そりゃ人間として生きていてあんな感情やこんな感情を持つわけだわ。私、知らないが故に誤解ばっかりしていたなあ」となったのです。
その辺りがわかったのですっきりしながらも、今日も私はやはり神様の新婦として生きながら、自分観察と人間観察に勤しむわけです。
改めて書いた記事を見たら気持ち悪いな。笑
でも自分の考え方の癖はまとまったし、軸にしている部分もまとまったから結果オーライということで!
私はこういうやつです!!!笑