信仰を辞めたいと思ったことはある?|信仰生活11年の私が答えるQ&A【Vol.17】
はじめに
こんにちは!CGM(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送って11年目のでんでんです。
前回は「神様を疑ったことはあるの?」という質問に答えました。
11年間の信仰生活の中で、神様に疑問を持ったことは何度もあります。
では、そんな私が「もう信仰を辞めたい!」と思ったことはあるのか?
……あります!!!笑
ただ、ここで一つ考えたいことがあります。
「辞めたい」と思った時、本当に辞めたいのは何なんでしょうか。
今回は、私が信仰を辞めたいと思った時のことや、その気持ちにどう向き合ってきたのかについて書いてみようと思います。
信仰を辞めたいと思ったことはある?
あります!
どんな時に信仰を辞めたいと思ったの?
・人と比べて自分がしょーもないなと思った時
・人と比べて自分の行くべき道が「なんか人より長そうな道やな?」と感じた時
・自分が裏で色々やっているのに、そこが褒められない時
・自分が神様を信じるようになった経緯や、今、神様と向き合いながら進もうとしている道を理解してもらえない時
・一緒に活動する人たちと感覚が合わなさすぎる時
・色々トラブルや問題が起こって収拾がつかなさそうな時
・自分の進んでいる道に自信が持てなくなった時
などなど。今3分ぐらいで考えたんですが、それだけでも盛りだくさんであります。
本当に信仰そのものを辞めたかったの?
「うわ、ほんまに辞めたい」と思う時はたくさんありましたが、よくよく紐解くと『信仰そのものを辞めたいというわけではなかった』んですよね。
例えば、仕事そのものは好きだけど、職場環境や人間関係がつらくて「会社辞めたい!」と思うことってありますよね。
私の信仰生活で「辞めたい!」と思う時は、それらと似たような内容でした。
信仰自体が嫌で辞めたいのではなくて、「今のこの状況が嫌で嫌で、本当に苦しい」というわけですね。
なので、「神様を信じること」と「教会の人間関係や環境に身を置くことで生じる困難・患難」は混ぜて考えてはいけないんだと思います。
「辞めたい」と思った時、どうしていたの?
まずは気持ちを整理するために祈ります。
何より先に神様へ進み出ています。
1回祈ったらそれでスッキリするときもあれば、問題が根深い時には何日も祈りに行ったりします。
最近も「まじほんまどうしろって言うんですかこの状況」と感じることがあって、40日間、毎日教会に祈りに行っていました。
その祈っている間に、次々機会がやってきます。
・自分より経験を積んでいる方と相談できる機会
・少し距離を置けるような機会
・御言葉で解ける機会
・自分の考え方が切り替わる機会
などなど。
その度に「神様はこんな状況で文句をいいながらもがいている私を愛していらっしゃるんだな(見放していないんだな)」と感じています。実感するのは全て落ち着いてからということもありますが・・・笑
信仰を辞めなくても、つらい環境から離れられるの?
私は基本的にしんどい環境にいたくないので、「本当に離れることができるようにしてください」とお祈りします。
でも、それだけではなくてもう1つ一緒に祈っていることがあります。
「ここで何かを解決したり、自分がこの機会を通して成長することを神様が願われているのであるならば、そのようにしてください。ただし、今の自分では絶対に無理なので、何かしら乗り越えられるきっかけを絶対にください。」
こうやって祈っておくと、状況が変わらず環境も変わらないことがわかったら「あー、はい。やるべきことなんですね。やりますね。」と切り替えられるんですよね。諦めがつくとも言いますけれども。
面白いのが、ここで自分の考えが切り替わったら、急に御言葉でヒントを得たり、自分の不満がすっきりすることが起こったり、解決できるための道筋が見える情報が入ってきたりするんですよね。
なので、こういう状況になったら頭の片隅で思い浮かぶ聖句を1つ共有します。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
マタイによる福音書26章39節
イエス様が十字架にかかる前にお祈りされた内容です。
実際に私に起こることは十字架よりもはるかにましな状況ではあるのですが、神様の御心を願い求める姿勢として本当に追うべき姿勢だと思っています。
もちろん、状況が変わらないからといって、必ずそこにとどまらなければならないわけではないと思っています。
自分が何をすべきなのか、環境を変えるべきなのかも含めて、祈りながら考え、判断するようにしています。
特に、精神的にしんどくてまじでどうしようもない時には、踏ん張って頑張ること自体が大変だと思うので、そういう時は先に休息。神様も一緒に「よく頑張った」と言って側にいてくださるでしょうから。たくさん休んでくださいな。
それでも11年間、信仰を続けてきたのはなぜ?
「辞めたいと思ったこと」は「自分が苦しくてしんどいこと」とセットでやってくると思います。
でもそれは自分の信仰が悪い、自分の実力がないから悪い、ということではないんですよね。
「この経験を通して、もっと信仰が強くなる」「この経験を通してできることが増える」そういう機会なんだと思います。
だからなんやかんやあっても信仰が続いているのは、神様が自分のために機会をくださっているからなんだなと感じています。
もう少しだけ行なえば、小さい問題も大きい問題も解決します。行なってはじめて解決します。神様はすでにすべて行なわれました。前々からやらなければなりません。患難、困難によって期待どおりにならなかったとしても、私たちも落胆せずにやらなければなりません。行なうことだけが答えになります。
2026年10月11日 主日礼拝『勤しんで急いで時を迎えたから、一緒に生きて勤しんで行ないなさい』より
こうした経験を通して
・やっぱり神様って聖書で学んだ通りの存在なんだな
・やっぱり聖書に載っている過去の人たちの実践ってすごいことなんだな、見習おう
と思うので、私は初めに神様を信じるようになったきっかけを思い出しつつ、ここまで来れているんだと思います。
よくある質問
Q. 信仰を辞めたいと思うのは、信仰が弱いからですか?
→まず、信仰を辞めたいと思ったからといって、それだけで信仰が弱いとは思いません。
人間関係や環境の問題でしんどくなることもありますからね。
そのうえで、神様との関係に向き合う力という意味では、「はい」でもあり「いいえ」でもあると思っています。
ただし、疲れ切っていて向き合う余裕がない時と、向き合えるのに後回しにしている時は、別の話だと思っています。
休息が必要な時には、まず休むことも大切です。自分に向き合う余力があるなら、少しずつでも神様との関係を育てていきたいなと思っています。
神様に向き合う力がないのは簡単な言葉でまとめちゃえば「弱さ」だと思うのですが、信仰生活の初めからみんな「強い信仰」を持っているわけではありません。
「弱い」なら「育てるフェーズ」なので、弱さも飲み込んで神様に向き合ってみてください。花開くタイミングは人それぞれなので、花開くまではあの手この手でチャレンジするのが良いと思います。
という角度で見るならば、神様と向き合う強さがあるのに向き合わない時、それは「弱さ」というよりは「怠惰」に当てはまるのかもしれないですね。
筋トレをサボると筋肉がなくなっていくように、できるのにやらないと「神様に向き合う強さ」は弱くなるんじゃないかなと思っています。
Q. 教会の人間関係がつらい時、距離を置いてもいいのですか?
→ 良いと思います。実際、私は一時的に距離を置いてきました。笑
たとえば、旅行や仕事にかこつけて、全国にあるCGMのいろんな教会に足を運びました。
他の教会に行くとみんな同じく神様を信じているけれども、自分を知ってる人はほぼいない場合が多いので、ただ1人の人間として過ごすことができてリフレッシュになります。
また、教会の人との連絡頻度を減らして、自分自身と向き合い、自分を保つ時間を持つ時もあります。
その時、教会の誰かには「1ヶ月ぐらい引きこもりますね(礼拝には行くけど、他の人との接点減らして神様とだけ向き合う時間を持ちますね)」と伝えています。報連相は大事。
あとは通う教会を変えるという選択肢もありますよ!各教会それぞれ個性が違うので、今の自分に合うところを探してみるのも1つの方法です。周りの教会を確認してみたら自分の通っているところが今の自分には一番良かったということも往々にしてありますからね!
まとめ
ということで、今回は「信仰を辞めたいと思ったことはある?」という質問に答えてみました。
結論、あります!しかも何度もあります!笑
でも、その気持ちをよくよく紐解いてみると、私の場合は「神様を信じることを辞めたい」というより、「今のこの状況がしんどい!どうにかしたい!」という気持ちだったんですよね。
仕事は好きだけど、職場環境がつらくて会社を辞めたくなることがあるように、信仰生活でも、神様を信じることと教会の人間関係や活動の問題は分けて考える必要があるんだと思います。
だからこそ、辞めたいと思った時には、まず自分が何に苦しんでいるのかを考えるようにしています。
祈ってみたり、誰かに相談してみたり、少し距離を置いてみたり。
それでもすぐに解決できないことはありますし、環境を変えた方がよい場合もあると思います。
私自身は、そうやって一つ一つ向き合う中で、神様との関係を続けることを選んできました。
11年間、ずっと楽しくて順調だったわけではありません。
でも、苦しい時にも神様に向き合い、自分なりに考えて行動してきた経験が、今の私をつくっているんだと思います。
もし今「もう辞めたい!」と思っている方がいたら、その気持ちを無理に否定せずに、まずは何がつらいのかを考えてみてください。
続けることも、休むことも、環境を変えることも、自分で選んでよいと思います。
少なくとも私は、そうやって自分の信仰生活と向き合ってきました!
次回予告
次回のVol.18は「信仰生活はしんどくない?」です。
今回は「信仰を辞めたいと思ったことはある?」という質問に答えてみましたが、11年間信仰生活を送ってきた私にも、「もう辞めたい!!!」と思う時はありました。
でも、その気持ちを紐解いてみると、必ずしも神様を信じること自体を辞めたかったわけではなかったんですよね。
さて、次回はそんな話からつながる質問です。
「信仰生活はしんどくない?」
仕事もして、プライベートもあって、そのうえ教会にも通っている。
そんな生活を11年間続けていて、実際のところどうなのか?
楽しいことも、しんどいことも含めて、私自身の経験からお話ししてみようと思います!







