CGMで嫌な経験や合わないと感じたことはあるの?|信仰生活11年の私が答えるQ&A【Vol.27】
はじめに
こんにちは!CGM(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送って11年目のでんでんです。
前回は「CGMは辞めたい時に辞められるの?」という質問に答えました。
さて、今回は「CGMで嫌な経験や合わないと感じたことはあるの?」という質問です。
11年間も教会に通っていたら、嫌なことや納得できないこともあったんじゃないの?
教会の人間関係で悩んだり、活動が負担になったりしたことは?
教会の考え方や雰囲気が、自分には合わないなと感じることはなかったの?
宗教というと、同じ信仰を持つ人たちが集まっているので、みんな仲良く、同じ考えを持って過ごしているようなイメージがあるかもしれません。
でも、同じ神様を信じているからといって、性格も価値観も考え方も、すべて同じというわけではありません。
私自身、11年間の信仰生活の中で、楽しいことや嬉しいことだけでなく、悩んだり、納得できなかったり、「これはちょっとしんどいな〜」と思うこともありました。笑
今回は、CGMで信仰生活を送る中で、どんなことに難しさを感じてきたのか、そしてそんな時にどう向き合ってきたのかを、私自身の経験からお話ししてみようと思います!
CGMで嫌な経験や合わないと感じたことはあるの?
あります!
めっっっちゃありますよ!
CGMで11年間信仰生活を送る中で、人間関係に悩んだり、教会の活動が負担になったり、考え方が合わないと感じたりしたことは何度もあります。
どんな時に嫌だな、合わないなと感じたの?
具体的な内容を書くと長くなるので、ざっくり挙げると、
・御言葉に対して納得がいかない時
・人に対する可能性を見いだせない時
・自分が「もっとこっちがいいのに」と思う時
・同じ御言葉をもとにしているはずなのに、教会の人と考え方が合わない時
・一方的に話を進められたり、解決する手段が見いだせない時
蓋を開けてみると、自分が御言葉を十分に悟れていなかったり、神様の御心を理解できていなかったりする時も多いですね。笑
あとは、現状起こっていることを解決したり、消化したりする力が足りていない時や、そのための道筋が見いだせない時に「嫌だな」「合わないな」「辞めたいな」と感じることがあります!
もちろん、自分自身の課題だけでなく、相手との考え方の違いや、活動の進め方そのものに改善が必要だと感じることもあります。
教会の人間関係で悩んだことはあるの?
あります!
というか、教会に来る前まではのらりくらり人間関係の構築をかわしていた部分がありますので、本当に人間関係に向き合うことになり、結構悩んでおります。
その度に、自分が身につけるべきことや改善すべきことが見えてくるので、悩むことがすべてマイナスというわけではありません。
今は上の立場の人との関わり方(ボスマネジメント)を身につけるためのあれやこれで悩んでいます。
教会の考え方や活動方針に納得できないことはあるの?
あります!
自分がひねくれているターンで納得できない時は、とことん自分と神様に向き合うことに集中するのがいいかなと思います。
ただ、納得できない理由が必ずしも自分にあるとは限りません。
本当に納得できない時には、牧師さんをはじめ、活動を取りまとめてくれている人に相談だ!!
自分の考えを伝えたり、相手の考えを聞いたりしながら、どうしたらよいのかを考えるようにしています。
教会の活動が負担になったことはあるの?
あります!
成長するためや自分を作るために必要な負担ってあるじゃないですか。そういう時は受け入れて、どうやったら乗り越えられるのかを考えます。
でも自分が負うべきじゃない活動は「他の人が担えた方がいい」ことだったりしますので、分別できるように祈っております!
私の場合は、依頼された役割を「他の人を探してほしいです」と断ったり、取り組むけれども100%の力ではなく20〜40%の力に調整したり、臨機応変に動くようになりました。
嫌なことがあった時、どうやって向き合っているの?
私の場合ですが、自分の感情がぐっちゃぐちゃになっていることが多いので、次の順番で向き合うことが多いです。
①祈る
②御言葉を探す
③感情を言語化する
④人に相談する
⑤必要に応じて①〜④を繰り返す
途中で解決したらそこで終了します。
教会の人と合わない時はどうするの?
・相手を理解すること
・そのために話してみる、観察する
・神様の目線でその人を見れるように祈る
・自分が変わらないといけないところは変われるように祈って意識する
それでも合わないときは、『目的』を見て、いかにその目的をその時に集められたメンツで成すのかだけを考えます。
それでもCGMで信仰生活を続けているのはなぜ?
大きい神様の愛と、変わらない真理の御言葉があるからですね。
すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。
エペソ人への手紙 3:18-19 口語訳
草は枯れ、花はしぼむ。 しかし、われわれの神の言葉は とこしえに変ることはない」。
イザヤ書 40:8 口語訳
あとはどんな状況になってもひたすら神様の御心だけを探し、行なって、信仰生活をされている、鄭明析牧師の姿を、私は見て知っているからですね。
よくある質問
Q. CGMでは教会の人に不満を伝えてもいいの?
→いいですよ!ただ、教会の人に限らず、
・不満を伝えるだけでいい時
・不満+自ら改善点を提示するべき時
があると思いますので、ぜひ見極めつつ伝えてください!
Q. 教会の人間関係が合わなかったら、別の教会に移ることはできるの?
→ できますよ!
所属している教会の牧師さんに相談してみるのも、一つの方法だと思います。
今の場所でもう少し頑張ってみるのか、新しい場所で信仰生活を送るのか。
自分が何に悩んでいて、どんな環境を必要としているのかも考えながら、決めていけたらいいですね!
Q. CGMで嫌な経験をしたら、信仰そのものが嫌になることはあるの?
→ ゼロではないと思います。
私や周辺の友達数人の事例なので、すべての人に当てはまるわけではありませんが、信仰そのものが嫌だというよりは、信仰生活の道中で経験する大変さによって、嫌になっていることが多いように感じます。
もちろん、経験したことによって信仰そのものに疑問を持つ人もいると思いますし、感じ方は人それぞれだと思います。
まとめ
今回は「CGMで嫌な経験や合わないと感じたことはあるの?」という質問にお答えしました!
結論、めっっっちゃあります!笑
CGMで11年間も信仰生活を送っていれば、人間関係で悩むことも、活動が負担になることも、考え方が合わずに納得できないこともあります。
同じ神様を信じているからといって、みんなが同じ考え方をしているわけでも、すべてが自分の思いどおりに進むわけでもありません。
そんな時、私は祈ったり、御言葉を探したり、自分の感情を整理したり、人に相談したりしながら向き合っています。
自分が変わる必要があることもあれば、相手と話し合ったり、環境や活動の進め方を変えたりする必要があることもあります。
嫌な経験をしたからといって、それだけで信仰生活のすべてが嫌になるわけではありません。
私にとっては、いろいろな葛藤や難しさがあっても、それ以上に神様の愛と御言葉が大きいから、今も信仰生活を続けています。
もちろん、これは私自身の経験と考え方です。
CGMで信仰生活を送っている人にも、さまざまな経験や考え方があると思います。
この記事が、CGMでの信仰生活の一面を知っていただくきっかけになれば嬉しいです!
次回予告
次回は「なぜ11年間、CGMで信仰生活を続けているの?」という質問に答えます!
今回お話ししたように、11年間の信仰生活は、楽しいことや嬉しいことばかりではありませんでした。
人間関係で悩むこともあれば、教会の活動が負担になったり、自分の考えと周りの考えが合わなかったりすることもあります。
それでも、なぜ私はCGMで信仰生活を続けているのでしょうか?
単に長く続けてきたから?
教会に友達がいるから?
それとも、何かほかに理由があるのでしょうか?
次回は、11年間の信仰生活を振り返りながら、私が今も神様を信じ、CGMで信仰生活を続けている理由についてお話ししたいと思います!
「信仰と暮らしQ&A」では、CGMでの信仰生活について30の質問に答えています。ほかのQ&A記事は【こちら】からご覧ください。
次回もお楽しみに!







