(2020年9月6日追記)
以前書いていたブログの記事を引っ張ってきてみました。2020年以降の記事がこのブログに移行してきてからの記事です。昔の文章はテイストが違うなと思うので見比べてみてください。笑
おはようございます。
今日は土曜日です。明日は日曜日ですね。
日曜日には礼拝があります。
この前の日曜日は礼拝に行かず、結婚式に出席したんですよ。友達の。すっごく感動したんです。行ってよかった。おめでとうね。
それでですね。
キリスト教福音宣教会の礼拝って<結婚式>とか<婚宴パーティー>とか言うんですよ。たとえでね。実際に式あげるわけじゃないよ。神様とそれぐらい熱い愛で礼拝で会いましょうねってやつなので。
でも、私、
結婚式とか婚宴って何やってるのかわからなかったんですよね。ぶっちゃけ。
いや、なんとなくイメージはできるんですよ?
こういう感じね。ちょっとこの画像モノクロだけど。
あと「汝健やかなる時も病める時も…」ってやつに「誓います」って言うやつとか、指輪交換とか、ブーケトスとか。
それぐらいしか知らなかったんですよ。
ところがどっこい。
私が思っていたより何倍も結婚式は素敵なものでした。知らなったからさ。行ったことなかったからさ。わからなかったんですよね。
でも今回高校の友達の結婚式に参列させてもらってね!よかった!よかったんですよ!
ほんで、礼拝を<結婚式>とか<婚宴パーティー>って言う理由がわかったんですよ。
なので、そちらを紹介していこうと思います。
結婚式と礼拝の共通点
みなさま。それでは只今より、私(わたくし)が気づきました共通ポイントを1つずつご紹介させていただきます。
①式次第が長い
私が初めてキリスト教福音宣教会(CGM)の礼拝を守った時に思いました。
『御言葉までの時間が長い』と。
準備賛美を4曲、そのあと少し祈って開会宣言。司会の人がお祈り。開会賛美。交読文。全体賛美。もうこの時点で長い。まだある。
結婚式もそうでした。
新郎入場、新婦入場、挨拶、賛美歌、誓いの言葉、指輪交換、署名、宣言・・・。そんなことまでするんだ。とか思いながら見ていました。
新郎新婦の姿に号泣しながら。
でも、結婚式の一つ一つの式次第に意味があるように(牧師さんが丁寧に説明してくださっていた)、CGMの式次第も一つ一つ意味があるんです。
普段お世話になっているお姉さんお兄さんに聞いてみてください。答えてくださると思います。
②生まれてからの軌跡をたどる
結婚式に欠かせないのが、生まれてから今までどうやって育って、どうやって結婚相手に出会って、どうやってゴールインしたのかを振り返る感動的なダイジェストムービー。
結婚式当日、その友人のムービーを見た私は号泣。あんなん泣くわ。ずるいわ。
これ、CGMだと礼拝中というよりかは礼拝前?にするのかな。
お祈りで。
よく一週間を振り返ったり、過去を振り返って感謝したり、「あの時あんなことありましたね〜」って思い出したりするんですが、あれです。
自分の生い立ちをお祈りで振り返りましょう。
私は勝手に脳内で生い立ちムービーを流しながら祈っています。ほんと脳って便利。
③形式的だとつまらない
結婚式の式次第進行の時に、牧師さんがたくさん話されます。
端的にいうと「病めるときも、健やかなるときも、〇〇さんを夫とし、愛することを誓いますか」っていうことを新郎と新婦に聞くんですけどね。
なんかね、その振りが仰々しいんです(すみません)。
発音も良かったし、声のトーンも素敵だったんです。本当に。
でも、なぜか心に刺さらない。
心から祝福するというよりかは演じている感じ?
だからわざとらしく感じてしまって私はちょっと冷めてしまったんですよね。
『形式的な信仰はせんといてね』ってニュアンスのことが聖書に書いてるんですけど、礼拝でもそうです。
見た目だけかっこよくしようとしても心に響かないんですよね。
特に聖歌隊で賛美していると思います。
めちゃめちゃ上手くてもそこに思いがなければ耳に心地の良い睡眠導入剤に変質してしまうのです。悲しいことに。
多少へたっぴでも、その歌詞をわかって噛み締めて表現しようって思った時の作品の完成度は鳥肌もんです!
真心で礼拝捧げれるようになりたいですよねー!
④隙あらば感謝が伝えられる
少しでもタイミングが現れたらここぞとばかりに感謝が伝えられます。
来てくれてありがとう。
お母さんありがとう。
お父さんありがとう。
おじいちゃんありがとう。
おばあちゃんありがとう。
友達にありがとう。
同僚にありがとう。
先輩と後輩にありがとう。
私と結婚してくれてありがとう。
感謝のオンパレードなので、涙腺弱い方は決壊します。ご注意ください。
礼拝も、隙あらば感謝を伝える場になります。
タイミングはわかりません。
「あ!」って思った瞬間に、一言でも「感謝します!」って告げれたら、本当に結婚式会場のあの幸せな雰囲気がもっと味わえるんじゃないかな〜とも思います。
⑤隙あらば愛が伝えられる
感謝と似ているかもしれませんが、好きあらば愛が伝えられます。
家族への愛・友達への愛・新郎新婦がお互いに向ける愛・・・。
いいですね!本当に心がじんわりします。
礼拝も似たようなものです!
聖書の御言葉自体が神様からの愛のメッセージですが、礼拝の時間は格別です。隙あらば愛を伝えてきます。
その時、その愛に気付けるかどうかは残念ながら新婦の立場である私たち次第・・・( ; ; )
だから、愛を受け取れるように準備しましょう!大丈夫!神様は行なった分報いてくださるし、準備した分答えてくださいます!
ちなみに私は愛に気付きにくいです・・・すみません神様・・・笑
⑥準備期間の苦労が報われる
これ。これなんですよ。準備が本当に無駄にならない。
今回結婚式に出させてもらって感じたのは、新郎新婦が、またそのご家族が、友人たち(私含む)が、ものすごく準備したんですよね。
もちろん一番大変だったのは新郎と新婦ですが。
「めっちゃ悩んだんやろうな」「これ、相当時間かけて作ってるんやろうな」「少しでももっと良くしよう」という思いがプログラムの一つ一つに込められているのを感じました。
これが本当に感動します。
後日、友人に『本当に良かった』という感想と少しのメッセージを送ったら、「ありえんぐらい準備した」って返事が返ってきました。
摂理の礼拝も同じことが言えます。
新郎の立場である神様は霊体なので私たちには見えませんが(笑)、毎週、どころか毎日、毎瞬間準備され働きかけてくださっています。
ということは、新婦の立場である私たちが準備すれば、それはそれは礼拝の時間にたくさん感極まるものがあると言うことです。
24時間ずーっと祈りなさいとか、24時間ずーっと御言葉を聞きなさいとか、そう言う準備じゃないです。
神様の愛で、自分を愛してあげること。
神様の御言葉で自分の精神面を最高に作ってあげること。
神様の美貌に感化されて(笑)自分の肉体面を最高に磨き上げること。
結婚式の準備って、そうじゃないですか。
生い立ちムービーを作りながら過去を振り返って。
あの時の言葉、あの時のプレゼント、あの時の思い出を噛み締めて。
肌の調子を整えて、スタイル良くなるように運動したり食生活を変えたり。
小顔の体操もして、ネイルもして、エステにも行って。
”素敵”を胸の中に集めて最高の笑顔をもっと素敵な顔にして。
神様の愛を前にしておんなじようにやってみたらいいんじゃないかなって思っています。
⑦未来への希望が詰まっている
結婚を通して未来の家族像を描いて、夫婦二人三脚で頑張ります!って宣言するじゃないですか。
礼拝でも御言葉を通して「じゃあこれ神様と一緒にやってみよう!」「こうやったら自分の考えもっといい方向に向けれるかも!やってみよう!」ということを教えてもらえます。
希望じゃないですか。
希望が見えたなら、やってみよう!!
為せば成る、です。
日本語に訳して「やればできる」って言っていることが多いらしいですね。今日知りました。
「やればできる」って聞いたら「為せば成る」に変換した方が良さそうですね!
結論
ここまで気付いた共通点をあげてきましたが、
7つの共通点を集約したのがこちらです。
結婚式の全ては新郎新婦のためにある。
「当然やん」と思いますが、これが大きな悟りでした。
本当に、プログラムも料理も映像もスタッフさんたちも二次会も何もかもが2人のためだけに用意されます。
そうか。礼拝は、新郎の立場の神様と新婦の立場の私のためにあるものだったんだ。
私、お客さんじゃなかったわ。
主役やったわ。他の人かと思ってたけど私や主役。
全ての式次第を他人事のように見ていましたが、全て私のために毎週用意されているものだったなんて。知らなかったぜ。
私がこのことをわかって礼拝に出れていたかというと・・・出れてませんね(笑)
毎週のように礼拝を準備している人たちに感謝します。