教会と信仰のあれこれ

どうしてもわかり得ないタイプの人っていると思うの【御言葉通りになりますように】


私はよく「うーん、御言葉と現実が乖離しているんだよなあ・・・」と思うことがあるんですね。
・・・え、ないですかね。私だけ?笑

特に、聖書には「平和」とたくさん書かれていますが、地球創造以来「平和」ってなかなか成されていないと思うんですよね。
物理的な世界戦争がなくなったと思ったら、今度は言葉の戦争・心の戦争じゃないですか。マウントの取り合いというか。幸せ自慢的な?的な?

ちゅどーーん!

心を許せる友達がいない、真実な愛をくれる人がいない、努力を認めてくれる人がいない、夢を応援してくれる人がいない、自分のことを過去から未来までまるごと認めて愛してくれる人がいない。
でも自分の人生は1度きりだから、楽しく生きたいから、いろんなもので心の寂しさを無視して楽しんでいるふりをするのです。
全員が全員そうではないとは思っていますが、かなりの確率で当てはまる人が多いんじゃないかとも思っているのです。

ぽつーん

しかもこういうのって<経験があるか、ないか>で話の通じ具合が変わるじゃないですか。
「この人とは話が通じる」
「この人とはこのタイプの話はできんなあ」
「想像力をフル動員してもちょっとわかってあげられないこともあるなあ、悔しい」
ってめっちゃ思うんです。
そしたらだんだん自分の素も出せなくなるし、取り繕っちゃうんですよね。
人付き合いと自分に対する価値が表面的になっちゃうんですよ。

アイデンティティが枯れていくぜ🍂!

だから私はずっと思っていました。
「どうしてこんなに世の中は世知辛いのか」と。

国連が出来て「戦争は良くない」という風潮になってから暮らしは豊かになったと思います。紛争地域もだいぶ減りました。それでもずーーーっとなんやかんや人類は苦しんでいるわけですよ。
そこから抜け出したいと願いはするけれど、現状だけを見ると諦めたりするわけですよ。
「あぁ、やっぱこんなもんか・・・」みたいなね。
「今の現状でどうにかするしかないのか・・・」みたいなね。
「こんな世の中じゃあ、夢を持ったってしゃあないや。自分の範囲でどうできるか考えよう。それで満足だ」みたいなね。

でもそしたら『生きている意味、なくない?』『今すぐ死んでも誰も何も言わなくない?少しは悲しんでくれるだろうけれど、だんだん忘れていかれるし、私の存在は何も影響を残さないくないか?』って思っちゃうわけですよ。ええ、私は思ったことがあるのです。

ちょっと待ったー!!!

ぴっぴっぴー!!

諦めるのはまだ早い!

特に私は「平和」に関する聖句や御言葉は<信じるに値する>と思うんですよ。というか「まじで世の中が平和で温かいものであってくれ。じゃないと生まれた甲斐がないじゃん」と思っているのもある。

ラブアンドピース✌️

御言葉を学んで思いました。
「辻褄が全部合う。逆に神様がいない世界だと仮定したら、私が感じていることも、周りの人が生きて来た人生も全部筋が通らなくなってしまう。なるほどね、この世界に神様がいるからこうなっているのか。ほうほう」と。

「それから、まだ神様の言っていることって成されていないことがたくさんあるんだな。神様って何でもできるだろうから、てっきり<初めから全部完璧にしている>と思っていた。だから今の世の中で満足しないといけないと思っていたわ。そんなことなかったのね。御言葉が成されたらまじで理想じゃん」と。

11:1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

(ヘブル人への手紙11章1節)

「神様の御言葉は信じて希望を持つに値する」
「ただし、私も実践して現実世界に表現していかなきゃいけない」

ということが判明。なるほどねー!

ということで、私は「教会の人たちと分かり合えねー!」と散々このブログで言っておりますが(笑)、同時に「御言葉がモノホンであるということを私が実感し、平和を成すタイミング」が来たんじゃないかと本気で思っております。
本当に「この人たち話通じないんちゃうか・・・?」「逆に向こうの話も私に届かないんじゃないか・・・?」と思っているのです。2020年11月3日時点の私は。

◆一つ、平和にするためには<平和という単語>を忘れてはいけません。

◆二つ、平和にするためには<平和にしようとする心と意志>を絶対的に持っていなければなりません。 何事でも<やろうとする心>なしにできることはありません!

◆三つ、平和にしなければ<サタンと悪魔と悪霊>がつけ込んで自分と相手に害を与え、「神様の祝福」を受けられないようにし、互いに「敵」になるようにし、「さまざまな災い」を与えるということを知らなければなりません。

◆四つ、相手が平和にできなくするとき、考えなければならないことがあります。 自分が過去平和にできなかったことによって、兄弟に「平和でない言葉」を言われたり、「平和でない接し方」をされたりしているのかを考えて、悔い改めなければなりません。 行なったとおりにもらうという神様の御言葉は、兄弟だけではなく自分にも該当します。だから過ぎた日のことを考え、悟らなければなりません。

◆五つ、平和にするためには<兄弟に対して逆らって接する行為をされ、言葉を言われて我慢>もしなければならないし、<自分を犠牲にすること>もしなければなりません。 自分を犠牲にすれば、<平和の問題>は簡単に終わります。

◆六つ、<主の御言葉>を聞いて、絶対に命のように思わなければなりません。そうしなければ「平和」が壊れます。 <神様と聖霊様が主を通しておっしゃった御言葉>を「命の御言葉」として切実に悟り、実践しなければなりません。そうしてこそ平和になり、祝福を受けるようになります。

2020 年1月22日水曜礼拝「 <和睦>にしてこそ「神様がくださる祝福」を受ける」より抜粋

抜粋しておいてあれだけど、まじでアーメンだなこれ。
わー、私がまさに信じて実践するべき御言葉じゃん!

最近ね、こういういろんな御働きというか導きを感じるのです。
神様の「平和」の御言葉が成されるかどうかを身を以て証明する時がきたんじゃないかと思っております。
あと私の信仰が大丈夫かどうかも露わになるでしょう。笑

 11:7信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。 11:8信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。 11:9信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。 11:10彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。 11:11信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。 11:12このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

(ヘブル人への手紙11章1節)

まあだから、「神様が願っているところはどこなのか」を願い求めて、自分が生きている環境を通して教えてもらって、御言葉から遠いところもたくさんある現実けれども、だからこそ「御言葉が成される!」と信じて挑戦していくことが、信仰生活の醍醐味だなあ〜と思うわけです。

なので私は<信仰生活>をしながら、ありとあらゆるリアルを記録して、人間のもがきと神様の御力を記録して、「まじで神様の御言葉が現実でなされたら天国のような世界になるんだよ!この記事読んでよ!すごくね!?だから神様っているし、信じる価値があるんだよ!」って、このブログで証明したいと思っているのです!ええ!

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denden
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神様の次に音楽を愛する関西人。 基本ポジティブでテンションが高い。でも考えは深い(と思いたい)。 座右の銘は『楽しんだもん勝ち』。 人生を生きる中で辛かったあの頃の私に、「神様ってすごいんやで!」と伝える自叙伝『小心者、神様に出会う』シリーズをゆるりと更新中。