「信仰生活の醍醐味って全てが無駄にならないところ」だなってほんまに思うんですよ。過去も現在も未来も、毎日起こる良いことも悪いことも、無駄にならないんですよね。
神様の御言葉が実質的に成されるならばね!!
もちろん過程の中で、最近の私みたいに愚痴だらけになったり、落ち込んだり、失望したりすることもあります。
特に御言葉で教えてくださっている姿が超理想的な分、現実世界と比べて「全然だめじゃん」「ちゃうやん」と思うことは数知れず。
そうやってたくさん考えたり悩んだりしますが、やっぱりいつも一番良いタイミングで御言葉が宣布されるわけですよ。
(私の思う一番良いタイミングとは、自分の頭で考えられることは全部考え切った時。転じて「考えが空いた」時。)
1回考えたことがあるんです。
「初めから全部教えてくれたら良いのに」
って。
「人と分かり合えない時はこうしたら良いですよ」
「上司がきつい場合はこうしたら良いですよ」
「こういう状況になった?じゃあこうしたらいい」
「ある程度頑張ったらここで壁がやってくるからこうしたらいいよ」
みたいなマニュアルを先に渡してくれたら、どんな状況でもすぐに対処できるようになって、ストレスも受けなくなるから良いんじゃない?って。
でも実際って違うんだよなあ。
もちろんマニュアルがあったらいいとは思うけれど、
実際に経験して体験して考えるプロセスを踏んでこそ、つまづきポイントがわかる。
→だからマニュアルが活きる
と思っているのです。私は。
というか、単純に理解が深まる。次はそうしなくなるし、同じ状況の人がいたら教えてあげられる。
短所だけ見えちゃって長所が見えないところも、
長所だけを見てしまって短所を直すことを忘れているところも、
生きているゆえに起こることだなあ。
身の回りに両方あるなあって思ったし、
これが解けていけたらいろんなことが追い風吹いて速く進んでいくんだなあと思うそんな昼下がり。
あと、やっぱり深く話せないと長所も短所も見えないから、そういう環境づくりも大事だなあって思いました!まる。
私自身の最近の傾向としては、はじめ「長所しか見えてないのどーよ?短所が直ったらもっと良くね?」って思ったところからスタートしたのに、時が流れていく間にだんだん短所しか見えなくなって失望しちゃっていましたね。うん。
今日の御言葉でだいぶ吹っ切れたし、昨日教会の同い年メンバーと話していてスッキリしたのもあるよー!
うん、神様が私たちにあげたいと願っている理想世界に、着実に確実に近づいている感覚がする。だから「キリスト教福音宣教会で信仰生活するのを総合的に楽しんでいるだなあ、私って」といつも思ってます。まる。