ってのをランニング再開して思うようになりました。
前回走ったのが2020年の9月だってよ…!約5ヶ月のブランク…!どれだけ走ってなかったんだ…!そりゃあんまりない体力がもっとおさらばしちゃいますわ。しかも何が一番厄介かというと、<人生で一番体力がピークだった高校時代のコンディション>が私にとっての<普通>って考えてるんですよ。今も。大真面目に。認識を間違えるのって超厄介。笑
幸いなことに私の家の近くにランニングコースがあって、朝でも昼でも夜でもランナーたちがいるんですよ。だからみんな走っているのをみて仲間意識を持つわけです。自分1人じゃないのは心強い。たまに2人で走っている人たちがいてちょっと羨ましくなりますが、「私は神様と一緒に走ってる!」って思うと不思議と力が湧いてくる。
そんでまあ、30分とか走るじゃないですか。
「お、女性いる」
「年齢近そう」
「素敵に歳を重ねてはるなあ」とか思いながらね。
で、やっぱ走るからには早く・かっこよく・余裕を持って走りたいじゃないですか。だからなのでしょうか。ランニング始めた時は、他のランナーたちを見て比べていたんですよ。
「あの人めっちゃ早い」
「なんでこんなゆっくりな速度でしんどそうなんだろう。抜かそ抜かそ!」
「うわあ…抜かされたあ…」
とか思うんですよね。それでテンションが下がっちゃう。
でも最近『自分のベストな走り』を意識したら新しい見方ができるようになってきました。力を抜いて、楽しく走れる段階になった時に、他のランナーのみなさんを客観的に見れるようになったんですね。
ゆっくり走っているのにしんどそうな人を見るじゃないですか。私は「体力がないのかな」「走るの苦手なのかな」とだけ思っていたんですよ。(こうやって文字に書くとすっごい失礼だな、私。すみません。)
でも自分が長距離ランを終えてへばりながらクールダウンしているところを、体力余っている人に勢いよく抜かされた時に感じました。
もしかしたら今軽々と抜かして行った人が、私を見て「あの子、大したことないな」って思ったかもしれない。
長距離ランして頑張ったからクールダウンしているのに、その瞬間の辛そうな姿だけを見て「体力ないんだ~へばってる~」って思われたらカチンとくるな。
自分の考えていたことを逆サイドから見る経験をしてやっとわかりました。
なるほど。これは正しく見ないと心情を害されるわ。
正しく見るためにはたくさんor深い対話をして、その人の経緯を知らないとダメだわ。目に見えた一瞬だけで人を判断してはいけないんだなと。改めて感じたよね。
ということでタイトル通り。瞬間だけ見てその人のことわかってあげられる人はイリュージョンが使える。もしくはそれぐらい普段から心情をわかる努力をしている。少しだけ聞いて心情がわかるならほぼ同じ経験をしたことがある。ということですね。