教会と信仰のあれこれ

【朗報】足だけ洗えば良いんだって!

「悔い改めなさい」の御言葉を聞く時に高確率で「うっわあ・・・今の自分の生き様が否定されるぅ〜」って思っていました。でんでんです。

2021年8月8日主日礼拝「清く瑕(きず)なくしなさい」

参考聖句:テサロニケ人への第一の手紙5章23節
5:23どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。

ひええええええええ(;゜0゜)

・・・ってなりがちじゃないですか?私は超なります。
ここ数日はめちゃくちゃ祈っていてあほほど調子が良かったとしても「ヒェッ」って思いますし、調子が悪い時なんて「やっべえ・・・終わった・・・ひええええええええ」って感じていれば軽い方です。えぇ。

罪とか咎とか聞くと怖ええええぇぇってなるの私だけ?あれ?

人間は生きている中で罪を犯さざるを得ません。神様の前で罪を犯したりもするし、人の前であるいは自ら罪を犯したりもします。または先祖たちが罪を犯した連帯罪があったり、誰でも罪がない人はいません。 パウロ先生は自分は罪の中に生まれたとおっしゃいました。人々はどういったものが罪なのかよく知らないまま生きています。そして、罪がどんなに恐ろしくて、人間に害を及ぼすのか、損害を被るようになるのか知らないでいます。人間が罪によって苦痛を受けても、それが罪によって受けている苦痛だと悟れないで生きています。

悔い改めは死から免れます。人間が罪を悔い改めると、神様はすぐに許してくださいます。罪を悔い改めると、敵が自分に害を与えることができないようにして下さいます。

キリストの中にいる人は、より罪を犯していないということです。主に従うことも悔い改めです。主の御言葉を聞いて従うことが、汚い悪臭を放っている罪を洗い流してくれるのです。神様の御言葉は水のようであり、心霊の汚れたところをすべて悔い改めて、再び行なってきれいにしなければなりません。聖書を読みながら、何が罪なのかを知って、どうして悔い改めなければならないのか、悟らなければなりません。

2003年3月9日主日礼拝「罪と悔い改め」より

これもね、すっげえアーメンなんですよ。
聖書を学んで、メシアがどういう仕事をしているのかを知ったから疑う余地はないのですよ。メシアは私が知らない間にやらかしてた罪を贖ってくださっていた。
でも瑕があったらいけないんだ。全部清くないといけないんだ。頭の先から足の先まで清くあらなければならないんだ・・・!

深刻に捉えるべきだが、思い詰めなくてよかった。

そう、タイトルを思い出していただきたい。

今日のタイトル

足だけ洗えば良いのである。
私は頭も体も今まで洗ったところも全部洗わなきゃいけないとずっと思っていた。

13:1過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。 13:2夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、 13:3イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、 13:4夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、 13:5それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。 13:6こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。 13:7イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。 13:8ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。 13:9シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。 13:10イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。 13:11イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。13:12こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。 13:13あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。 13:14しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。

ヨハネによる福音書13章1~14節

は〜〜〜〜ん?
「メシアが自分のことを救ってくださる」「罪から離れさせてくださる」「赦してくださる」と散々学んできたけれど、そういうこと?

ヨハネによる福音書の上記で引用した部分には、イエス様と弟子たちの会話の記録が記されています。イエス様を信じている弟子たちは、キリストであるイエス様を知っていたから綺麗だ、罪から遠い存在だと言っているわけですね(2003年3月9日主日礼拝「罪と悔い改め」の引用の最後の方も参照)。なる。
「しかしみんながそうなのではない(10節最後)」。イエス様のこと、認めていない人の方が多かったですもんね。当時のイスラエル・・・。めっちゃ反対されていましたもんね。

「罪を赦すメシアを知っている」

「罪が何なのか知っている」

「キリストの中にいるものはより罪を犯していない」
(“より”ってだけで全く罪がないとは言っていない)

だから足だけ洗いなさいと!なるほどね!

無意識に、洗ったとこももう一度洗わなきゃいけないと思っちゃっていたわ。
床がピッカピカなのに「まだ拭かなきゃ・・・!」って思い込んで何度も何度も掃除しても疲れるだけやもんね。

「汚れているところがどの部分なのか、人によって違うので自分と向き合って把握しましょう」ってことだ!

まずそもそもキリストについてちゃんと学んだことがないなら、この機会に学んでみましょ!
学んでみたけれどピンとこない方は、キリスト教福音宣教会へぜひ学びにきてください。バイブルスタディを聞けば納得できます。
学んでいる方は、汚れている足の部分だけ綺麗にしましょう。大部分はキリストが赦してくださっています。足だけでOKです。全部をきれいにしようと思うと疲れます。きれいな部分をさらにきれいにするって難しいよ。

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 INFP-Aの内向型人間。営業に片足の太ももぐらいまで突っ込んでる企画職。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。