教会と信仰のあれこれ

瑕つけずに新しくするってこういうことよな!?【動画あり】

今週の御言葉で「うっ」って思う人がいるなら、宗教は縛られるものだと思っている人がいるなら、この動画見てほしい。2つある。

錆びたジッポライターとピアノのおもちゃの復元動画です。

神様の愛を悟れる動画だと個人的に思った!
長いと思うなら1.2倍速、1.5倍速とかでもいいので。まじで!

ジッポライターの復元
ピアノのおもちゃの復元

もうね、すっごいの。何がすごいかというとね。

錆を取る際に1パーツごとに分け切っているのに、部品を一切傷つけていないのよ。
そして錆の取り方も、パーツにあった道具や材料を用いているのね。

まさに神様の愛ってこれじゃない?
神様が今私たちを「清くしなさい」っておっしゃるけれど、こういう錆の取り方をさせてくださろうとしてんじゃない?錆びているからといって無理やり削り取ったり叩き割ったりしないやり方を神様は私たちにしてくださろうとしているんじゃないでしょうか。

さてと。
親が子供をしつける時もそうですし、上司が部下を怒ったり、何か間違ったことを直させようとする時、私たちはどうするでしょうか。

大概は「怒る」「叱る」んじゃないでしょうか。

怖いから、怒られるのが嫌だから、直すわけですね。
でもさあ、怒られて矯正されるのって超トラウマになるわけですよ。
トラ🐯とウマ🐴(トラウマって単語使いたくない方におすすめ)。

だからかわからないですけれど、神様も私に何か「こうしなさい」っておっしゃることが暴力的に感じることがあったんですよね(今もあるかもね)。
「こんなんもできないんかワレェ(右ストレート)」
「ぐふぅ(や…やります…!)」

みたいに御言葉を受け取っていた時もあったんですよ。新入生時代。

そしてこんな感じでムスッとなる

叱られたり、怒られるのって、修理動画でいうならば<とりあえず錆は削り取る><汚い部分は材質考えずに擦っちゃう><錆が取れたら形が変わっても気にしないぜ>みたいな処置だと思うんですよ。
それでも直りますよ?錆も取れますよ?

ただ、ごっさ痛い。
とにかくダメージ喰らう。

毒のある動物に噛まれたときに毒を体に回さないように体寄りの部分をギュッとしばる止め方があるようですが、ナイフで腕を派手に切って血を噴水のように噴き出させて毒も排出する・・・みたいな横着なんですよね。叱るだけ、怒るだけっていうの。でもそれって人間主義というか。
相手が自然と直せるように考えを正していくのじゃなくて、力づくでねじ伏せちゃうんですよね。これはよくない。

でもこの動画を見ていたら、「あ、神様って私たちを繊細に扱ってくださりながら清くしてくださろうとしているんだな」と感じたわけです。
ボディ(本体)を傷つけないサビ取りの仕方があるわけですからね!学びましたよ私は!(あくまで私の悟りなんだれけども・・・)

そりゃ深夜だけれど呟いちゃうわけですよ。

やっぱり神様の愛は深い。(まだ悟っていけそう)
だからこそ、もっと自分を主につなげて御言葉につなげて、もっと神様を愛して生きていこうと思いました。それができたら私の場合は日々の汚れ、足の汚れぐらいは洗ってやらあ!って前向きに思えるもんね。

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 INFP-Aの内向型人間。営業に片足の太ももぐらいまで突っ込んでる企画職。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。