はるか昔に書いた記事の続きを書いていくぜ!
私、教会内外に関わらず「明るい・楽しい・面白い」と言われるのですが、そんなキャラに似合わずある程度の繊細な話にもついていけちゃいます(たぶん)。まぁね、きっかけがあっただけなんですけどね。それをこの小心者シリーズで書き殴っております。最近自分のことを表現するのに躊躇いがなくなったのでこうして再び筆を進める次第なのです。
さて。前回の記事では中学時代にあった別室登校その1のエピソードを書いていきましたが、今回はそのあとすぐに起きたその2です。
その1で別室登校していた友人がクラスに戻ってきて早2〜3ヶ月。私は再び担任の先生に呼び出されました。
先生「ちょっと昼休み職員室に来てくれへんか」
私「(うわぁお…)わかりました〜」
今なら言えますが安定の流れです。ピーチ姫がクッパに攫われるぐらいの安定の流れです。多分そん時の私はなんか配りたいプリントでもあるんかな〜?とか思ってました。能天気なことで。笑
昼休みの時間がやってきます。いざ向かうは職員室。ドアを開けて担任の先生の机に向かう私。待ってたよと言わんばかりの担任。そしていつになく真剣な雰囲気。
私 (あれ、思ったより真面目な話…?)
先生「また頼みたいことがあるんや」
私「?なんですか?」
先生「今度は□□が別室登校しててな。ほんでクラスの誰なら話せそうかを□□に聞いたらお前の名前が挙がったんや。前のこともあるし、行ってきてくれへんか」
私「(あらま!)…全然いいですけど、どこ行けばいいんですかね?」
先生「あの棟の3階にある部屋や。お前が行くかもしれんことは伝えてるから」
私「はーい」
ということで早速その部屋へGO!
ちなみにですが、別室登校の部屋は普段じゃ絶対行かないところにあるのでとてもワクワクしておりました。ハリーポッターの秘密の部屋に行くような感じですね。謎解きはないですしヘビ語を話すわけではないですけれども〜。
私「やっほ〜〜〜」
友「やっほ〜〜〜」
(中略)
私「というか、どした?なんか行きづらくなったきっかけあった?教えてほし〜〜」
さあ、でんでん選手。2周目だからか。少し緊張している様子も窺えるが気にせず話していく!
オタク趣味をいじられたのが原因で教室に行きづらくなっていたんだわ。
2021年のこのご時世、かわいい女子がジャンプを読んでいても何もおかしく思わないそんな世の中ですね!
だが、この時は2006年とか2007年!まだまだオタクには厳しい社会であった!特に少年漫画を読んでいる女子に対しては<オタク>という偏見が強かった時代である。今では普通であるキャラグッズを持っているだけでオタク認識され、今や人気作品の銀魂の超人気キャラの沖田くんのアイマスク型の筆箱を持っているだけで「あいつらオタクや」「漫画ばっか読んで絵ばっか描いていて暗い」とか言われてしまうのだ。そんな決めつけは良くないのにそう言われてしまっていた時代なのだ。
ということでこれからはこの時代背景を分かった上で読んでいただきたい。
ちなみに私は弟が買っていたコロコロコミックは読んでいました。ジャンプはもっと年上の人が読んでいるイメージだった。ま、数年後にジャンプ作品読みまくるようになっているんだけどね!
ちょっと得体の知れないというか、周りで意味わからないことをしている人がいたら遠巻きに見ちゃうよね。なんか「あいつ、こんなん好きらしいよ〜〜」「え、女子なのに少年漫画読んでんのw」みたいなね。そういうネタだと思って発言する言葉が相手を傷つけていたのよね。言葉って難しいよね。
未知のジャンルに対して脳は防衛反応を取るみたいだけれども。でもその言葉だけで教室に行きづらいってのも勿体無いよね。とは思いながらも、私は本人ではないのでどうしたら良いのかわからず。
「私だけでも味方でいよう」って思ったこともあったけれど。ちょっと行き過ぎた善意だったかもしれない。とりあえず、話し相手になることに努めてみる。
そしたらいつの間にかその子の家に遊びにいくようになってました。
キングダムハーツやっているのを横でずっと見てた!!!笑
あとね、整骨院を経営している家だったから、ウォーターベッドに寝転ばせてもらった。あれはいい経験だ。今ならもうお金払わないと乗れないのに。中学生の私には整骨は必要なかったっぽい。「おもしろ〜〜〜!」だけで終わってたな。笑
そんなこんなで一緒に帰って遊び倒すこと2週間ぐらい。
私が話し相手ができたからなのか、笑う時間が増えて気分転換ができたのか、他の理由があったかはもう今となってはわからないですけれど、その子もいつの間にか教室に戻ってきていました。
まあ、クラスの他の子も似たような趣味を持っていた人がいたから話が弾んで楽しくなったってのもあると思う。きっとね。
思ったよりあっさり終わってほっとしたのと、「パッと目に見える情報だけで人を判断したらあかんなあ」ということを痛感した中学2年生でした。
最後にこのことを書きながら「改めて大事にしたいな」と思った礼拝メッセージと聖句の一部引用を。
命の事情をわかって一緒にやってあげないといけません。命の事情をわかって探してあげないといけません。指導者がその命のことを誤解して接してはいけません。
2021年2月7日 主日礼拝「失われた羊を捜しなさい」より
誤解する人が苦痛を受けるのです。誤解される人は主人だからダメージを受けないのです。誤解した人がたくさん損を被ります。
2020年8月9日主日礼拝 「速く行いなさい」より
18:10あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔 18:11人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕 18:12あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 18:13もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。 18:14そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。
マタイによる福音書 18章10節〜14節
こちらはその3まで続きます。