教会と信仰のあれこれ

【音の花束】一生続ける”賛美”でのブーケ作り

このブログを始めて5年ぐらい経ちます。すごいねえ。
たくさん彷徨って悩んだ結果、ブログ含む発信活動でやりたいことが昔からどこまでも明確だったのでここに記します。

私の決意表明であり、このブログ及び私の発信内容の楽しみ方になると思います。(きっと)

・生きている間、次元を上げながら「賛美」を捧げ続けたい

・『神様が生きていらっしゃる』ということ、『神様を信じて生きることがいかに良いのか』、『救い主は冗談抜きで救い主だからわかって迎えようぜ』ということ、『霊界とか天国とかまじである』んやで、『神様を信じて生きることが最高の人生のスパイスになる』んやでということを、音や歌詞やステージで表現できる人になりたい

鄭明析牧師の「信仰生活をした分、神様との経緯が祈りになり、賛美になっている(2023年11月時点で1,700曲ぐらい)」という実践がどれだけすごいことなのか、自分自身が作詞作曲することで感じたいし、みんなに知ってもらいたい

これが信仰生活を始めて3~5年ぐらいの私の気持ちでした。
今、もう信仰生活が9年目になりますが、やっぱりこの気持ちが変わらないんですよね。

ほんじゃま、間の3~4年何してたんやって感じですが、悩みながら彷徨ってました!ええ!
「これでええんか、私は」「ほんとにこの道を選んでええんか」とずっと思ってたんですよね。
そんな道中で、アニメ音楽やBGMやアレンジ音源など多様に実践する機会があって感謝です。
逆にこの機会があったからこそ「神様がいるということを音で表現する」ことに諦めがつかなくって今に至りますからね。笑

『自分で作詞作曲すること』『音楽を通して意思表示をすること』は未経験なんですよね。
そういうのは才能がある人がやるものだと思っていました。

私はピアノ(習ってた)、バリトンサックス(吹奏楽)、ベース(軽音)、バレエ(踊る方)を習っていたんですけれど、あくまで「既存のものをうまく演奏/踊ることに挑戦する」レベルのことだけやってきたんですよ。それだけでも奥深いし楽しいんですけれども。
人が作ってくれたものを鑑賞すること、できる機会がある時には自分もやってみること、その世界に浸ったり表現したりすることで満足していました。

ところが、神様を信じるようになって『賛美』というものに出くわしたんですよね。
これもすでにある賛美曲を歌って神様に近づく努力をする、自分が悟らせてくださったものを告白する、もっと神様と近くしたいという思いをこめる、そういう実践をしてきました。

<捧げる>だけじゃ満足できなくなりました。
自分でも天を愛して曲を作りたい、曲を通して主を伝えていきたい。
そう思うようになりました。

そんな祈りを続けていたら、神様はまあ全てをわかってくださって、必要なものを全て与えてくださいました。
どういう機材が必要なのか、その資金も(社会人1年目の冬ボーナスでMacとソフト買いました)、方法も、音を使って表現するチャレンジの機会もくださいました。

そしてそして。

私に御言葉を教えてくださり、神様を信じることを教えてくださった鄭明析牧師。
先生がどうやって神様に賛美を捧げ、賛美を作り、天を愛しているかをたくさん見て学ぶ機会がありました。
バカスカ新作賛美が出てきたのですが、これはまじで信仰が成せる技であることをここに示しておきます。神様を愛する心と実践がなけりゃこんなことにはならん。

私の賛美作りのルーツは、鄭明析先生の賛美の捧げ方及び作り方がロールモデルになっています。この話、長くなりますが必ず書き残したい。

うーん。改めて思い返すとすっごく感謝なことだな。
こういう作詞作曲って10代の時から始めて花開く人が多いイメージだから。
20代後半からそういうことを始めている自分に引け目を感じていたんですけれど、よくよく思い返したら神様が全部祈りに応えてくださってるんだわ。

あー、なんか神様の御働きに気づけてなくてちゃんと感謝できてなかったことに急に反省の心が出てきたわ。悔い改めます・・・。

今日聞いた御言葉の中にこういう内容がありました。

‐神様は各自が行なうとおりに、接するとおりに、信じるとおりに接してくださる

◇この世では、各自たくさん知っている人は特別に自分だけが知っているその生の方法で事業もして、生活もつくっておいて生きて行きます。神様の主管圏の中でも、神様をもっと研究しもっと知る人は特別に自分だけが知るその方法で愛して行ないつつ生きて行きます。

<2023年11月19日主日の御言葉/第二の説教>
『各自が行なったとおりに接してくださる愛の法』より

誰かと比べてどうこう、ではないです。
が、賛美について、捧げることについて、音の使い方について、私はこの数年間神様の前にバカほど祈ってきました。私なりに天の前に進み出たつもりです。

マタイによる福音書7章にも要約すると「求めよ、探せ、門を叩け」とありますが、道場破りの如く、門を蹴破るぐらい祈った自信があります。これは、本当にそう。
足りないところもあるかもだけれど、バカほど祈ってきた。(足りないならどうせ後で悟らせてくださるからね、うん)
きっと、この経緯は、天と私だけがわかっていることなんだと思います。

だから私に見せてくださっている景色が「表現する音を作りたい」「賛美を通して主を証していきたい」なんだと思いました。

賛美に関しては歌う人も楽器する人もたーーーくさんいるから、自分の『賛美するアイデンティティ』って持ちづらいよね笑!スポーツとかもそうなんかな?
そういうところで、私は自分の経緯と感覚に自信が持てなかったのですが、今日やっとスッキリしたので決意表明したまで。

あとは、やっていくだけ。
長い目でやっていけたらと思います。

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 INFP-Aの内向型人間。営業に片足の太ももぐらいまで突っ込んでる企画職。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。