この日、9時に弟を那覇空港で見送って、奥武島(おうじま)へ天ぷらを食べに行く途中で平和祈念公園(HPはこちら)へ寄りました。
・・・ここでXのポスト、「祈」念の漢字間違えてたことに気づく😭
天ぷら屋が11時オープンで2時間ぐらい持て余すのは嫌だなと思ったのと、道中に平和記念公園があったのと戦争について祈れるマインドを作りたいなと思って、父親にもOKもらっていくようになりました。
平和な感覚に麻痺しているから価値がわからなくなってまうんよな。脳で、考えで触れておかないと忘れてまう。何事もそうですね。
中学校の修学旅行が沖縄だったので1度きたことがありますが、記憶からほとんど抜けています。(平和祈念公園は小学校で行った広島の方が印象が強かった)
防空壕に行ったりしたのを覚えています。無理な人はひめゆりの塔に行ってましたね。
もうね、すんごい平和。本当に平和。
いい天気だったからなおさら。
静かな場所に風の心地いい音と鳥の声が響いて、芝生の香りがするの。
ほんと「ここで戦争あったんかほんまに?」って思ってしまいました。
実際に起こっているからこうやって作られているのにね。
平和について考えたかったので平和祈念資料館にすんごく行きたかったんですが、三ヶ日はお休みでした。。。またの機会に。
なので今回一番ハッとした場所を記録しておきます。
慰霊碑です。
相変わらず私のiPhoneがセルフ光反射フィルター(という名のカメラ部分が割れてるだけ)を搭載しているのでなんかすんごくいい風に見えます。
あのですね、誤解を恐れずに言うと
命の尊さと儚さ、ご本人や遺族の無念さ、平和への想いが感じられて美しく見えました。
久しぶりに時が止まった感覚になりました。
世界から取り残されたみたいな。映画である演出がセルフで起きるやつ。
それでね、本当に慰霊碑の数が多いんですよ。
おそらく市町村毎にまとめられていたんですけれど、本当に多いんですよ。名前が。
慰霊碑のあるスペースに名が刻まれている全員がリアルで整列したら、山手線や環状線の朝ラッシュの狭さで並んでも絶対にその敷地からはみ出るぐらいの名前が刻まれていました。
また別観点ですけれど、どうやってこの人たちの名前がわかったんだ。帳簿の名前と生存者を照らし合わせている時のやるせなさを勝手に想像して胸が痛くなりました。
1人でいてたら多分そこに2時間ぐらい滞在していそうですが、今回は父親と一緒だったのでそういうことを歩きながら考えていました。
何事も「自分ごと」として捉えると理解が深まると言いますが、本当にそうですね。たまには追体験するのって大事。
家に帰ってから平和に対する聖句を確認したらイザヤ書がヒットしました。
「救い主が生まれまっせ」という予言がなされている書物の1つですね。
9:6ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、
ひとりの男の子がわれわれに与えられた。
まつりごとはその肩にあり、
その名は、「霊妙なる議士、大能の神、
とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
イザヤ書9章6節
その後はバリバリ修繕中?補習中?の祈念堂へ行ってきました。
画像右下にある通り、平和への想いが込められた絵画や平和祈念像がある美術館でした。
祈念像の制作者は72歳の時に制作を発表して、18年かけて原型を制作し、完成時には90歳だったそうです。すんごい。私も平和に対する作品作りたいし、それぐらいの想いに駆られたいって刺激を受けました。
JCBのクレカを見せたら50円割引になりましたので持っている方はぜひ。笑
同じく補修中?の平和の鐘。
めっちゃしゃがんで撮りました。
無事に修繕されていい音を奏でられますように。
ちなみに入り口右横にはモニュメントがある。
このモニュメントの構想や文章もいいので、実際に訪問された方はぜひ読んでみてください。コンクリの曲線も素晴らしいです。
あと、平和祈念堂に行った方はぜひ裏側にあるビニールハウスで飼育されているオオゴマダラを見に行ってみてください。国内最大の蝶とのこと。
写真だと伝わらないけれどでかかったわ。しかもめっちゃおった。
蝶と蛾系の虫が苦手なのでびびりながら撮影していました。
蝶たちは呑気に?花の蜜吸ってました。
2時間の訪問の割にはすんごい充実していました!
楽しかったし、感じるものがあったから大収穫です。
次来る時は資料館に行く。決めました。