「上手さ」を求めてしまう私たち
音楽でもなんでも、私たちは「ハイレベル」なものを求めがちです。
なんででしょうかね?
質の良いものは心を豊かにするなと思っていますけれど、「ハイレベルなものを知ってる自分」に酔っちゃうときもあります。
特に音楽は評価されてなんぼ、大衆受けするなり、話題性なり、多くの人の目に触れるためには何かしらの評価がつきものだなとと思います。
技術が良くないと「だめだ」
整っていないと「だめだ」
ある程度の基準は超えていても好みに合わないから「だめだ」
表現者がたくさんいるこの世界だからこそ、上手い人を見ると憧れたりジェラシーを感じたりします。
評価されている人を見たら「自分も!」と燃えたり逆に「自分なんか…」と落ち込んだりするんでしょうね。
上手さ=洗練=価値、みたいな理解になるんでしょうか。
もちろん、上手くなろうと努力することは素晴らしいことです。
それだけでも簡単にできるものじゃないですからねえ。
でも、本当に「上手さ」だけが人の心を動かすのでしょうか。
人はみんな違う感性を持っている
同じ山を見ても
「山だ~~」と思う人
「こんな植物が生えていて、こういう動物がいるな」と思う人
「この山、空気が美味しい!綺麗な形!」と思う人
いろんな反応に分かれると思います。
芸術に触れる時、芸術を表現するとき、伝えたいものはあるかもしれませんが、受け取り方はその時のその人それぞれなんですよね。
大部分は被っていても、どこかは違うもんです。
歌のMV1つを見ても、歌詞が心に響く人、音が心に響く人、映像が心に響く人、そのほか色々ありますよね。どれも響く人もいるだろうし。
「曲がいい」
「歌詞がいい」
「声がいい」
「パフォーマンスがいい」
「ライブがいい」
そういういろんな人が感じた共通項で、大衆評価というものが生まれるんじゃないでしょうかね。
「伝わる表現」は上手さだけでは生まれない
すんごいステージを見ると「わお、いいね!」って思いますよね!
ところがどっこい。
すんごいステージはたくさんありますが、心に残るステージって少なかったりします。
今まで数え切れないほどの大小のいろんな舞台やライブを見てきましたが、心に残っているとなると数を数えられるぐらいになるんですよね。
オフライン・オンライン問わずね。
『上手いわけではない、けれども心に残る。 ずっと見ていたい。』
『めっちゃめちゃ上手いのに、それだけじゃない。 ずっと見ていたい。』
こういう表現に出会ったことってありませんかね?
私自身、ステージに立ったり、企画したりすることがあります。
演奏が完璧だったライブより、ステージに立つまでのもがきがあったからこそ忘れられないライブがあります。
音程が完璧だったことよりも、その人の努力や労苦が思いがステージングに現れているステージは何年経っても忘れることができません。
表現にはいろんな形式があると思っていますが、私は『その人の生き様』が見れるステージングが本当に好きです。覚悟というか想いというか信念というか、そういうものが見えるステージはすごくテンションが上がります。
表現は、自分を知ることから始まる
ここまで書いてきて思うのは、結局「表現」は技術から始まるものではないのかもしれません。
私は、何を美しいと思うのか。
私は、何を届けたいのか。
私は、どんな人生を歩みたいのか。
そういうものが少しずつ積み重なって、その人らしい表現になっていく。
だから私は「その人の生き様」が見えるステージが好きなんだと思います。
楽器や歌やダンスといったパフォーマンスは手段であって、その人がどう生きてきたのか、何を大切にしているのかが、ふとした表情や音、言葉に現れる。
それは技術だけでは作れないものです。
私はこのことを、音楽を続ける中でうっすら感じていたんですよね。
そして、賛美をするようになって、その感覚がさらに強くなりました。
賛美を捧げている時、ただ神様と私の間をつなぐものは技術だけではないんですよね。
自分がどう生きてきたのか。
今、何を感じているのか。
何を神様に伝えたいのか。
そういう『生き様』が、自分の心も神様の心も動かしていくんだ、と身に染みて感じています。
生きた分だけ、表現が変わる。
私は、それが真に面白い「芸術」だと思っています。
だから私は手を替え品を替え、表現を続けているんだと思います。
おわりに:意識した瞬間から『生きてきた全て』が表現になる
音楽だけじゃなくて、仕事でも、家事でも、なんでも。
初めは誰かの真似から始まります。
私も正直全体像が見えないと動けないタイプなので、始める時に「プロはどんな感じなんだ」と映像を探したりします。それで何度か見て、イメージを膨らまして、自分を投影して、自分がやってみる時の感覚を掴みます。
大切なのは、いつかそこに自分自身の人生が重なっていくこと。
同じ曲を演奏しても、同じ言葉を話しても、歩んできた人生は誰一人として同じではありません。
だから最終的には、その人にしかできない表現になります。
ステージに立つということを考えると、はじめはほんっとうに人に見せられないぐらい拙い状態で立つことになります。
でも、私は『生きている』ということはどのような状態でも美しいと思っています。
だから私は、上手な人だけが立てる場所ではなく、挑戦している人も安心して表現できる場があってほしいと思っています。
「こんなの見せられないよ〜」と思っている段階から『それが素晴らしい』と胸を張って言える環境を作りたいなと思っています。
いろんな『生き様』を表現し、讃え合い、支え合える。
そんな場所が少しずつ増えていったら、表現はもっと自由で、もっと豊かなものになるんじゃないかなと思っています。
上手さは磨くことができます。
でも、その人らしい表現は、その人の生き方の中でしか育ちません。
だから私は、表現とは「生き様」そのものだと思っています。
心が動く人生を、ステージを生きていきたいですね。
そんな表現を、一つでも多く見つけて味わっていきたいですね。







