はじめに

Vol.7では「教会の人としか遊ばないの?」ということで、実際に私がどんな人たちと会っているのかを書きました。
では、そもそも人との付き合い方自体は、信仰を持つ前と後で変わったのでしょうか?

今回は「誰と付き合っているか」ではなく、「人とどう付き合っているか」。
信仰生活11年の中で変わったところ、そして相変わらずなところを振り返ってみます。

信仰を持つ前、私はどんな人付き合いをしていた?

私は大学3回生の時に信仰を持つようになったので、それまでの自分を振り返ってみました。

  • 友達関係は広く浅く
    →圧倒的に言われていたことが「でんでんって友達多いよな」でした。
  • 自分から人に連絡していた?
    →家では1人で好きなことをしていたかったので、連絡はしません。いつも人と約束したりするときは会った時にやっていました。メールとかでやりとりしなかった分、会った時のコミュニケーションを大事にしていたと思います。
  • 人の相談に乗るタイプだった?
    →めちゃめちゃ。親友兼幼馴染にも「特に高校の時はめっちゃ相談されてたよな、色んな人から頼られていたというか」とお墨付きをもらっています。
  • 苦手な人にはどうしていた?
    →「苦手」と思わないように、その人のいいところや頑張っているところを知ろうとしていました。
  • 一人でいることと人といること、どちらが好きだった?
    →どっちも好きですけれど、せっかく学校でみんなと会うならワイワイしようぜ!というタイプでした。1人行動は余裕でしたし、よく暇な時に大学内や定期券内の駅周辺を散策していました。

信仰を持って、一番変わったことは?

人との付き合い方で一番変わったと思うものは、そうですねえ。
え、自分で小見出し作っておいて、書くの難しいかも・・・。

というのも、ここまで書いてみて気づいたんですが、私は信仰を持つ前から、人のいいところを見ようとしていたし、人の相談にもよく乗っていたし、一人一人にそれぞれの人生があることにも興味がありました。
なので、信仰を持ったからといって、人との付き合い方そのものが180度変わった、という感覚はあまりないです。

じゃあどういう影響があったんだろうかと考えると、

今までなんとなく作り上げてきた「人を大切にする」という基準に、御言葉でお墨付きをもらったから自信を持ってそのスタンスを貫いている
ということなのかなと思います。

昔から「この人にもいいところがあるはず」と思って人と接していました。
でも聖書を学んで、神様が一人一人を大切な存在として見ていることや、「隣り人を愛しなさい」という言葉に出会ってから、
「一人の人間として、その人を大切にする」
これを自分のポリシーにしていていいんだ、という安心感を持てるようになりました。

もちろん、今でも苦手な人はいます。
合わない人もいます。
距離を置きたくなることもあります。笑

でも、好き嫌いや相性とは別に、「この人も一人の人間として大切な存在だ」というところは忘れないようにしたい。
昔からなんとなく持っていた人との向き合い方に、信仰を通して理由と基準がはっきりできた。

一番変わったのは、そこなのかもしれません。

「人を愛する」って、全員を好きになること?

聖書では、神様を愛することと、同じように隣り人を愛しなさいという聖句があります。「アガペー(無償の愛)」という言葉で聞いたことがある方もいるかもしれませんね。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

マタイによる福音書 22:37-39

これを読んで、こう思う人もいると思います。
「愛する?それは全員と恋愛して、全員と結婚するということ?」
「じゃあ全人類のことを「大好き〜!」と思わないといけないのか」

結構気になりますよね。
私は、恋愛感情としての「好き」と、一人の存在として「大切にする/尊重する」という意味での「愛する」は、別物だと思っています。

「好き」:恋愛で使用しがち。付き合いたい・キスしたい・抱き合いたいとかの感情
「大切にする/尊重する」:神様のおっしゃる「愛する」の概念はこっち。1つの存在として慈しむ感覚。

私は、恋愛にめっちゃ興味があったわけではないんですよ。
中高生の時から、
「人として何故に生きるのか」
「何をもって人生は完成するのだろうか」
と堅苦しく(?)考えていたので、『己の生き様を探し求める』ということに夢中だったので・・・。

なのでどちらかというと、聖書の中で書かれている「1人の人間という存在として大切にする/尊重する」という「愛する」を神様は願われているなと思います。

聖書を学んで、この「愛する」という概念に出会って、『恋愛至上主義で生きなくていいんだ』とホッとした記憶があります。

苦手な人との付き合い方は変わった?

信仰生活11年でも苦手な人はいます。昔から苦手な人のジャンルは変わっていないと思います。

じゃあ、
苦手だからといって嫌っていいのか?
距離を置いていい?
仲良くしなきゃいけない?
相手に合わせ続けなきゃいけない?

というと、そういうわけではないです。

相手の性格や個性、生きてきた経緯をわかって接することで、お互いのすれ違いやわだかまりは断然減ると思っています。
(関わる道中でわだかまりが完全にゼロになりますとは言えませんけれども。「愛する」心で接して向き合えば、わだかまったとしても解けていくんじゃないかと思っています)

人との距離感はどう考えている?

私は、距離感欲しいです。
求:パーソナルスペース

信頼しているからといって、四六時中一緒にいたいわけではないです。
信頼しているからといって、自分の全てをあれこれ話すわけではないです。
信頼しているからといって、いつも活動を共にするわけではないです。

しばらく連絡を取っていなくても、会った時に大切にできればいい。
相手が困っている時に必要なら力になりたい。
でも、お互いそれぞれの人生を生きていたらいい。
そんな距離感が結構好きです。

信仰を持ったからといって、全員との距離を縮めなければならないとは思っていません。
むしろ、その人にとっても自分にとっても、ちょうどいい距離で大切にできたらいいなと思っています。

人間関係で我慢することも「愛」なの?

我慢することが「愛」になる時もあると思います。
でも、「我慢すればするほど愛している」とは思っていません。

相手の成長どころ、待つべきところ、覆ってあげるべきところに関しては我慢して待ちます。

そうでなくて、本当にただ人に迷惑をかけるわがままだったり、法に背いていたりしているものに関しては、我慢するのではなく『正しく本人ができるように教えて、見守って、時には並走して、悩みを深掘りして、本人のものになるようにする』ことが「愛する」ことだと思います。

これが難しいんですけれどねえ。

信仰を持っても、変わらなかったところ

結構ありますよ。笑
連絡不精は相変わらずです。
一人の時間も好きです。
合わない人は普通にいます。
一緒にいて落ち着くタイプも変わっていないです。

「人間1人1人にストーリーがあって趣深い。あなたらしい生き様を見せてくれ!」と思っていることも変わらないです。

よく聞かれる質問

Q. 信仰を持ったら誰にでも優しくなれる?
→すぐには難しいかもですが、神様の深〜〜い愛を感じて、キャパを広げて人に接することを繰り返していたらできると思います。

Q. 苦手な人とも仲良くしないといけない?
→部分的にそう。我慢してまで仲良くする必要はないかなと。
ただ、物事を成すときにお互いをわかりあって、長所を活かしあえたら、「苦手」が少しなくなると思うので、そうやって「好き」が増えたらいいなと思いますよ。

Q. 人間関係で嫌なことがあっても我慢するの?
→ものによります。相手のためになるなら我慢しますし、そうじゃなくて自分だけが不利益を被るなら検討した上で我慢しないようにしています。

Q. 教会の人と喧嘩することはある?
→うーん、ゼロではないですね。
私の場合は、「もう深い話や発展させる話は話さんとこ」となってしまうパターンだと思います。爆発的な喧嘩じゃなくて、冷戦みたいな感じになるので良くないなと思いつつ・・・。うまくコミュニケーション取るって難しいですよね。

Q. 一人でいたいと思うことはない?
→割といつも思っているし、単独行動します。
イベントが終わったらそそくさ帰ったり、礼拝が終わったらみんなが談笑しているのを横目に祈りに行ったりカフェに行ったりしていますよ。
もちろんすぐにみんなと過ごす時間にするときもあります。

まとめ

信仰を持って、人との付き合い方は変わったのか?
こうやって振り返ってみると、私の場合は、人付き合いのスタイルそのものは、意外と大きく変わっていませんでした。

昔から人のいいところを見ようとしていたし、人の相談にもよく乗っていました。
今でも連絡不精だし、一人の時間は好きだし、合わない人は普通にいます。笑

でも、昔からなんとなく持っていた、
「一人一人を、その人自身として大切にしたい」
という感覚には、聖書を学んだことで、はっきりとした理由と基準ができました。

人を愛することは、全員を「大好き〜!」と思うことでも、四六時中一緒にいることでも、何でも我慢することでもない。

相手を一人の人間として大切にすること。
相手を知ろうとすること。
必要なら待つこと。
必要なら伝えること。
そして時には、ちょうどいい距離を取ること。

「この人を大切にするなら、今どうするのがいいんだろう?」
そう考えながら人と付き合うようになったことが、信仰を持って一番変わったところなのかもしれません。

……とはいえ、人間関係って難しいですからねえ。笑

信仰生活11年目。
これからもいろんな人と関わりながら、己の考え方を磨いていこうと思います。

次回予告

次回は、Vol.09
「職場の人には信仰のことを話すの?」

一般企業で働く私が、職場で信仰についてどこまで話しているのか。
聞かれた時はどう答えるのか。
そもそも自分から話すことはあるのか。
・・・といった感じで、実際のところを書いてみようと思います。

お楽しみに!

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 企画職やってます。多趣味な人間。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。