教会と信仰のあれこれ

真実な祈りは神様の心を穿つ

(2020年9月6日追記)
以前書いていたブログの記事を引っ張ってきてみました。2020年以降の記事がこのブログに移行してきてからの記事です。昔の文章はテイストが違うなと思うので見比べてみてください。笑

真実な想いが心を動かす。

神様も同じだ。

真実な祈りの一言ひとことが

神様の心を穿つ。

それは上から落ちてくる水が

石を抉るように

神様の心に深く刺さっていく。

「ぶっちゃけこの件3%ぐらいしか関わっていないのに、なんで私がこんなに祈っているのかよくわかっていませんが」

「ほんまなんでかなんですかねえ?」

「正直なことを言うとですね」

「こんなんどうしろっちゅーねん、って感じです」

正直な心が、

真実な対話を生むのだなあ。

素直な想いが、

自分の心の中にも

神様の心の中にも

染み渡っていくのだなあ。

上っ面で心がこもらない

「愛しています」

「頑張ります」

「感謝します」

より、

心からの

「本当は愛したいんです」

「頑張りたいけどできない」

「この状況で感謝できれば苦労しない」

の方が切実だ。

真実な心、

他人の目を気にして

塗り替えてしまったらならば

心の奥深くで叫んでいる私を

誰がわかってくれるのだろう。

日本人。

ホンネを隠したタテマエの表現は美しいけれど

自分をうまく表現できない姿は滑稽なんだなあ。

日本人。

言葉に想いを乗せるけれど

自分の気持ちを乗せられない姿は苦しそうなんだなあ。

今すぐ素直に生きれる訳ではないけれど、

祈りの時だけは、神様の前にいる時だけは

正直な祈りを捧げよう。

真実な想いは心を穿つから。

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 INFP-Aの内向型人間。営業に片足の太ももぐらいまで突っ込んでる企画職。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。