小心者、神様に出会う

小心者、「頼ることを恐れて自滅」する

私ですね。『人に頼れない』んですよね。全部1人でやっちゃうんですよ。

リーダーとか責任ある立場になりたくなくって。全部抱えちゃって仕事投げられないから。笑

<人が何かしようとしていることを手伝う>って方がとても気楽なんですよ。

どーしてこうなっちゃうかなあと思って昔を振り返ったんですが、原因が判明しましたわ。

 

 

まず、『”怒”の感情が大嫌い』。これは昔の私も今の私も一緒です。

怖いんですよね。電車とかで街中でたまに見かけるじゃないですか。ちょーーっとだけイラついている方。その程度でビビります。怖いよ。もうちょっと穏やかにいこうよ。

だから今も会社の中でピリピリしている人がいたら「ひええええええ」って心の中で思っています。マジで怖い。イラつくのはいいけれど表に出さないで・・・!!!(かなり切実)

だから人を怒らせないためにその人の期待に応えようとします。ええ。察する力がとてもとても身につきましたとも。

 

 

それから、『”人を落胆させる自分”が大嫌い』です。でした。いや、現在進行形かも。

何かやるじゃないですか。宿題とかでもなんでもいいですよ。そんで「できたよ〜」って伝えるじゃないですか。私なりにものすごい努力したんですよ。めっちゃ考えて、頑張ったんですよ。

その報告に対してですね、「へえ〜」とか「すごいね〜(棒読み)」とか「さすがだね〜(流石だと思ってはくれているのはわかるけれど、私の努力をわかってくれているわけではない)」という反応で返ってくることが多かったんです。ものすごい傷ついていたんですよね。

宿題とか一生懸命頑張ってお母さんに笑顔で「頑張ったね」と言われたのに全然嬉しくなかったんですよ。笑顔で言ってくれたけれど、私の苦労とかを褒めてくれたわけじゃなかったんですよね。

だから「こんなに頑張ったのに一緒に喜んでくれない・・・!!!」というやるせない感じだったんですよ。見せなかったけれど。「<私なりの全力の努力>って認めてもらえないんだなあ・・・<その人が喜んでくれる努力>をしないと私のことを認めてくれないんだなあ・・・」と子ども心ながらに思った記憶が蘇る。

でもでもやっぱり親には認めてほしいし、「これやってみたら?」って習い事勧められたら断る理由ないし、親(特に母親)もなんでも出来るタイプだから私もそうならなきゃって思っていたし・・・。

 

いわゆる<承認欲求>ってやつですよね。

何かをやってできた時には「挑戦してたくさん頑張ったからできたね!お母さんも嬉しいよ!」とか、できなかった時には「挑戦することが大きいんだ。よく頑張ったね!」と言ってくれたらよかったなあ・・・。そしたらこんなに『出来る子にならなきゃ!』とか思わなかったんだろうなあ、とか振り返っちゃいますね(笑)

母親も日中は仕事していたし家事も完璧だったんですよね。テニスしていたり友達づきあいも良くって。それでも私と弟に空いた時間使って構ってくれたんですよ。だから正直文句あったと思うんだけれど、伝えるまでもいかなかったんですよ。「私のためにやってくれている」ということがわかったから。

私が宿題したり習い事の練習をする姿を近くで訳じゃないから「よく頑張ったね」という言葉をかけるしかなかったのも今ならわかるよ。本当に「人生よく生きてほしいから出来る子になってほしい」という思いがあったんだろうなというのがよくよくわかります。ありがとう、お母さん。

 

でも、<承認欲求>は満たされなかった!!<できる自分じゃないと認めてもらえない>と思っている!!もうこれは事実として残っている!!しゃあない!!ここからどうするかだ、私!!!

 

 

 

だから、『”人を落胆させる”自分が嫌い』と上に書きましたが、実際は『自分が頑張ったことに対して”わかって””褒めてくれた”経験がほぼないから、他人に喜ばれる・褒められることじゃないと実行する自信がない』という表現が正しいですね。

 

 

 

 

なので、何か人に頼るときに色々考えちゃうんですよ。

『これ、頼んだら迷惑かな。怒られないかな・・・』

『こんなこと頼んだら失望されるかも(=喜んでもらえないかも)・・・』

この積み重ねで他人に頼れなくなる私が形成されました。

 

 

なんでも一人で耐える、一人で頑張る。見えないところで頑張るし、努力は見せない。ケチつけられたらそれこそ私の気持ちが持たないから。

それで人に言えなくて自分で抱えて精神的に倒れこんだことが何度かありました。

小さなことはたくさんあるけれど、過去であった出来事では、不登校の子3人目に関わった時と、大学の時に入っていたサークルが危機に陥った時。(多分そのうち書くでしょう)

思ったこと、やってみたいこと、大変なことに対して『助けて』『手伝ってほしい』という一言が本当に言えないんですよ。「損している」と客観的に見て思いますが、どうにもならなかったんです。それでもある程度のことは乗り切れるから普段はこんなのでもいいですが、本当に有事の際、一人ではどうしようもない時にはいつも潰れていました。

 

 

 

 

 

・・・なんでこんなことを書いたかというと、最近面白いことがあったんですよ。

 

職場の人と徒歩で帰宅したことがあったんですね。

電車通勤だとウイルスの感染も気にしないといけないし、自分にも周りにも気を使ってストレスが溜まるからって理由です。

その際に大きめの公園を突っ切ったんですが、1人だとまあまあ怖かったんですよね。街灯もないし、人通りもないし、「絶対一人じゃ通らんわ・・・」というところでしたが、2人でいたので平気でした。内心びびっていたけれど。

途中、絶対こんなところに人おらんやろって思うような茂みからガサゴソ音がしたんですよ。1人ならビビり倒して動けないか、そそくさと逃げ出して「こっわ・・・・」って思って心臓バクバクのまま一人で恐怖を噛み締めて進むしかないんですよ。

でもその時は2人だったんで「え!?なに!?」「あんな茂みなら鳩ではないですね・・・猫ですかね・・・」「なら大丈夫かあ」みたいにビビりながらではありますが笑い話にして進めたんですよ。結果、めっちゃ楽しくってですね。

 

 

『頼ること=共にすること』なんだなあ。って感じたんですよね。

帰り道一緒にいただけですが、それだけで心が軽かったんですよ。怖い夜道も歩けたし、茂みの音にもビビり倒さなくて済んだんですよ。

心のどこかで一緒に帰った職場の人を私はちゃんと「頼っていた」んですよねー。

 

 

今まで、『頼る』って『お願いすること、すがること』だと思っていたんだなって。

辞書引いてもこの通りだし。

「頼る」

1.助けてくれるものとして、よりかかる。たのみにする。

 「兄に―」
2.つながりを求める。てづるとする。
 「知人を―・って渡米する」

 

 

『これやってください』じゃなくて『これをやりたいから一緒にやりませんか』の方が誘いやすい=共にしてくれやすい=頼りやすいんだな、と思ったんですよ。

それを考えてみると、今までの人生の中で『こうしたい』と意思表示することは少なかったし、ましてや『一緒にやりませんか』なんてほとんど言ったことないなあ。主張していたのは遊びに行くときぐらいじゃないか、「◯◯行きたいから一緒に行こー!」みたいな。

 

 

 

うーん、やっぱり損しているとは思う。

けれど私が懸念していることは『やりたいこと・やるべきだと思っていることが一致していないんじゃないか』という事態なんだなあ。

『私はこう思うけれど、一緒にやりたい人がそう思っているとは限らないしなあ』というね。そしたら「一緒にこれやろー!」って言っても、同じ熱量でできなかったり、目指すところが合わなくて足引っ張ったりとかなっちゃうしなあ・・・って思うんですよね。

気持ちわかってくれるだけでもだいぶ助かるんだけれど、そういう人にも出会った事がなかった。(私が気づいていないだけかもしれない・・・)

 

 

1つは<わかってこそできるようになる>から、私と同じ感覚になれるように説明することが必要だなと。ここには神経を使うべきだなと。わかってもらうための努力は必要だし、自分が聞く側になったら<相手の立場とバックヤードを考えてわかってあげること>も重要だなってしみじみ思います。

そうやって説明してもわかってもらえない時は本当に「なんでやねん!!!」と思いたくなります(笑) そういう感覚になったこと、神様に会う前から何度もあります。「今の現状に対していろんな角度から検討したらこういう選択肢から選んで頑張るしかないやん!それでもええかもやけどそのままやと辛いぞ!私は嫌や!」みたいなね。

 

 

 

そこでやっぱりすごいと思うのは神様の存在なんですよね。

頼ること=一緒にすることができるようになってきたのって、神様が少なからず私には影響しているんですよ。

神様は正しいことしか言わないから(ここがミソ)マジで頼れる。私が「これ必要じゃない!?」って思ったことに対しても、神様が同じこと思っていたらこれ以上強い味方はない。もし神様が違うことを「必要だ」と思っていらっしゃるなら私が考え方を改めるしかない。笑

神様と一体になったら無念なことも、「こういうことか」と根本がわかってスッキリする場合もあるし、状況が好転する場合もある。

御言葉学ばせてもらっているから、神様がどういう風に物事を判断されるのかわかってきたし、その言葉に信頼性がある。その言葉通りだなって思うような経験を神様に会う前からたくさんしてきたし、神様を信じるようになってからもその言葉が現実に起こっている事を確認してきたから。

私が間違っていたらうまくいかない事を通して悟るでしょう(笑)

今までもそういう気持ちでやってはいたけれど、そこに神様がいるだけで<漠然とした感覚>が<確信>に変わったんですよ。「一度言ってみて大丈夫だ」、「わかってもらえなくても私の言った事が神様の方向性に合っているならいつかタイミングが来るから今は傷つかなくていい」、「言わないと変わらないから言ってみよう」と前向きに思えるようになりました。

 

誰もわかってくれなくても、神様はわかってくださる。

天地万物、宇宙も地球も全て絶妙なバランスで創造され、私たち人間が生きられるように毎日いろんな事を何十個も助けてくださって、私たちが幸せに生きることを願っている神様だ。

生きてきた中でたくさん経験した無念な思いを見逃すような神様ではない。

現に今も1つ私の過去を解こうとしてくださっている。

どんな人の言葉より、自分で自分を励ますことより、これほど心強い存在はないと思う。

 

 

『将来は栄える!!!』と信じてください。時になれば必ず栄えるようになります。

この御言葉がどれほど力になるだろうか。

何千年前ヨシュアが神様を信じて勝利したように、今の時代だとしても神様を信じて「共にしてください」と言えば神様がふさわしい方向にいろんな環境と状況を変えてくださる。

今すぐ好転しなくても「将来は必ず」と信じて、仲間に頼れる自分になることに挑戦しようと思います。

ちなみに、ヨシュアについて学びたければこちらのBSアニメをどうぞ⇨CGM聖書アニメ『SUN STOP-日よとどまれ』〜ヨシュアの祈り〜(キリスト教福音宣教会)

 

 

 

一人で抱えきれないものを抱え込んでいたあの頃の私へ。

私は神様に出会って、少しずつ「頼ること」を覚え始めています。

 本当に頼れる「たくさんの周りの人」の存在に気づき始めています。

過去、頑張ってきたから今こうやって理解して前に進めているよ。ありがとう。

ABOUT ME
denden
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神様の次に音楽を愛する関西人。 基本ポジティブでテンションが高い。でも考えは深い(と思いたい)。 座右の銘は『楽しんだもん勝ち』。 人生を生きる中で辛かったあの頃の私に、「神様ってすごいんやで!」と伝える自叙伝『小心者、神様に出会う』シリーズをゆるりと更新中。