『亡くなったらなぜ泣きますか?永遠に見ることができないからです。見ても死体を見るから怖いのです』
ああ、本当にそうだなと思いました。
私は死ぬことが怖いです。ええ。
だって怖くない?死ぬときは死ぬときだから、とは思っているけれど怖いもんは怖い。
おばあちゃんになるまで人生を謳歌して、寝てる間にそのまま死ぬことを夢見ています。
<死に近づくことは怖い>という感覚を久々に思い出しました。
<死>は本当に非情なものだし辛すぎるものだなと感じてきました。
いまいちわからないんですよ、<永遠の別れ>ってどういうことか。
<死>ってよくわからないんですよ、なったことがないから。
自分の体が傷ついたり病気になったりして生死を彷徨うような経験をしたことがないから。
それでも<死>について向き合って考えたことはあります。人の死を見て、ですが。
私が人生で初めて<死>に直面したのはひいおばあちゃんが亡くなったときでした。
幼稚園の時だったかと思います。恐らく。
でもひいおばあちゃんの亡くなった姿を直接見たわけではありません。
気づいたらお寺にいてお葬式に参加していました。
私はわけもわからなかったので読経などが終わった瞬間に広い床を楽しく駆け回っていました。
「なんでみんなしんみりしているんだろう?こんなに普段じゃいられない場所にいるのに!」みたいなことを考えていたような記憶があります。
それぐらい<死>について何も感じませんでした。
2回目は小学生の時。
友達の弟が亡くなりました。踏切に入ってしまって。
目の前で、目の前でした。もう呆然です。気づいたら踏切の中にいたのです。
小学生ながら現実とは思えないような感覚になりました。
泣きじゃくる友達姉妹にかける言葉も見つからず、「なんなんだこれは、どんな状況だ・・・」と放心するばかりでした。
<人に永遠に会えなくなる>ことを目の前で実感するようになりました。
でも、そこに対する感想や気持ちは何も出てきませんでした。
出せなかったというのが正しいかもしれません。<死>に対して理解不能な状態でした。
3回目は後述しますので4回目。高校3年生の時。
おばあちゃんが亡くなりました。
これも本当に衝撃です。
おばあちゃんはもともと身長も高くて(160cmぐらいあった)、元気な状態でした。
しかし、ある日、自転車に乗っているときに横転して背骨を折ってしまいました。
そこからです。
骨粗鬆症が重なったのか原因はわかりませんが、おばあちゃんの身長はみるみる小さくなりました。
多分、150あるかなってぐらいまで。
背中がまん丸になって見た目は可愛らしいおばあちゃんになりました。
そこからです。
背中が曲がって運動機能が明らかに低下していきました。
シルバーカーを使うようになりましたが、すぐに歩けなくなってしまいました。
食べ物も食べづらくなり、介護が必要な状態になってしまいました。
背骨1回折っただけでここまで変わってしまうのか・・・と感じました。
「こんなにもろい人間って一体なんなんだろう?」と考えたこともあります。
そして老衰して亡くなっていきました。
最後は寝返りすら打てず床ずれで苦しんでいました。
「ここまでして生きる意味ってなんなんだ・・・」と改めて考えるようになりました。
3回目、高校に入学してすぐ。
母親が亡くなりました。乳がんでした。
<あんなに元気だった人がこんなにも呆気なく人は死んでしまうのか>と衝撃を受けました。
毎日仕事もして家事もこなしてご飯も作って私と弟と父親を愛してテニスもして友達とも仲が良くて私たちを遊びや旅行にも連れて行ってくれて・・・。
そんな母親が寝たきりの状態になっているんです。
たくさんの管に繋がれて、呼吸器を使って必死に息をして・・・。
本当に苦しそうなんです。
そこまでして母親が生きたいと思う理由が本当にわからないんです。
想像はできます。
「夫と子どもを置いて死ぬわけにはいかない」と家族のことを考えてくれただろうし、
「自分の人生をもっと過ごしたい」と生きる希望を願ったでしょう。きっと。きっと。
それでもそんな思いなんて吹っ飛んでいきそうなぐらい苦しそうなんです。
「ここまでして生きたいと思う理由はなんなんだ本当」
「苦しくなってまで、見苦しい姿になってまで生きたい理由はなんなんだ本当」
思っちゃいけないけれど、いけないんだけれど、
「お願いだからそんなに苦しまないでほしい、本当にお願いだから、もう、私は大丈夫だから」ってずっと思っていました。
声が届いている感じがもうしないんです。母親に私だと認識されている気がしないんです。
それでも母親は懸命に息をして生きようとする。生きようとして、生きていたんです。
「人間ってなんなんだ本当・・・・」
わけがわからなくなりました。なんのためにここまでして生きたいと願うのだろう。
全身が苦しくて、機能も果たさない状態でも「生きたい」と思う理由なんてあるのかと。
そんなに辛くて苦しいなら、死んでしまったほうがましなんじゃないかと本気で思っていました。
死後の世界なんてないと思っていたから。死んだら終わりだって思っていたから。
「苦しんでいる姿を見る方が苦しい」そうやってずっとお見舞いに行っていました。
なんというかもう絶望ですよね。「人間ここまでなるのか」と。
おばあちゃんの時に激変する姿を見ましたが、ここまでとは・・・。
亡くなったのは高校入学してすぐですが、初期ガンが見つかったのは私が中学生の時でした。
ある日、家に帰ったらお母さんがご飯の準備をしていて。
「今日のご飯なにー?」と聞いたときに「実は会社の健康診断で乳がんになってん。でも初期ガンやから手術したら治るからあんま心配せんといてな」と言われました。
「???(ほう、乳がんとな?まあ治るって言ってるし)わかった!」と答えました。
でもお医者さんからは『死を覚悟するように』と言われました。
意味がわからなかったです。
「え、お母さんは治るってゆーてたで?あれ?」みたいな感じです。
手術するわけですからミスが起こらないとは100%断言できないという理由だったかもしれないし、転移して悪化する今回のようなケースを想定して先に言ってくださったのかもしれません。
たくさん泣きました。いなくなったらどうしよう、と。
そこまで一緒にいた時間は長くなかったけれど、大好きなお母さんがいなくなる。
耐えられませんでした。現実にはまだ起こっていない<死>を想像しては涙を流しました。
まさに永遠に会えなくなるのです。動かない母親を見ることを想像しては泣きました。
手術から数週間は経過観察でお母さんは入院していました。
毎日泣きながらも「絶対、大丈夫」と思いながら家事を手伝って生活していました。
この期間で、<母親がいない生活>を先に体験していました。
だから、まあ、うん。実際に亡くなった後も正直生活には困らなかったです。
でも、もし、もし万が一の時が訪れたら。
傷ついて動けなくなってしまわないようにたくさん脳内でシミュレーションをして<死>を受け入れる準備をしました。
しなくてもいい想像をして勝手に傷つきました。先に傷つけば同じ傷がついても耐えられるからです。
かなり、準備しました。しなくてもいい準備を。万が一の確率で起こる未来に対して覚悟を決めて。
だから無事に手術が終わって帰ってきて普通に生活している姿を見て「なーんだ。大したことないじゃん」と思ったのも事実です。
それでもそのときはやって来ました。癌の転移、再発です。
再発ってものすごくスピード速いですね。えらい速かったですよ。本当。
あんまりにもステージが進んでいく速度が1回目と段違いで。
一度覚悟を決めていたから、緩んでいた帯を締めるだけでした。
覚悟を決めていた、と思います。
それでも100%死ぬと決まったわけじゃないからいろんな望みを持ちました。
その中で辿りついた一つの可能性が<神様>でした。
「神様っているのかな・・・」と人生で初めて(?)真剣に考えたのです。
「病気を治してくれるのかな」「この状況から変えてくれるのかな」と思いました。
だから「神様いるかな」と思ってお願いしたんです。
感覚的に、八百万の神々ではなくて、唯一神神様に対してお願いしていたと思います。
「お母さんの乳がんが完治できますように」
そしたら、ほんの少しだけ、ごま3粒ぐらいだと思いますが症状が良くなったんです。
「うぇえ!?まじで神様っておるのか!!」とびっくりしたぐらいです。
でもその後お願いしなくなりました。病状が悪化する一方だったからです。
「お母さんがこういう状況になっている。どれだけ家族が願ってもダメなんだ。やっぱり神様っていないんだろうな」と思ってしまいました。
それでも完治に向かわないから、「願いが聞かれなかったし、間違ったこと願ってないと思ったんだけれどなあ。なんだ神様っていないんだな」と思ってしまいました。
違う、違った。神様はいらっしゃった。
わからないながら、それでもいいから神様にすがって願っておけばよかったなと本当に思います。<神様>がどういう方かわかって祈るのがベストですが。
叶う時まで、信じて祈っておけばよかった。私の人生の後悔ポイントです。
一気に治すイリュージョンなんて馬鹿げたことは神様もできない。
治すならがん細胞を執刀医を通して的確に摘出して徐々に回復するか、最新の治療法に出会って少しずつがん細胞が減っていくかだと思う。
その<普通のことに思える奇跡>を起こしてくださるのが神様だ。
『神様は常識じゃありえないイリュージョンをする』存在だと思っていました。
人間の仕組みに合わせて働かれる神様だなんてそのときは知らなかったんです。
頑張って続けて<治るその時まで>願っていれば何かが変わっていたかもしれません。
<人間を愛して生かそうとする神様の愛>を知らなかったことを、学んでから痛切に後悔しました。これほど後悔したことはないんじゃないかってぐらい。
もし、身近な人が、自分自身が、病気で苦しんでいるなら、唯一神である神様に全力で<最後まで>お願いしてみてください。本当に。
全力でお願いできないぐらい神様のことを信じられないなら、一回聖書を学んで神様のことを知ってみてください。本当に神様はいるし、働きかけてくださるから。わかる人に神様はより一層働きかけてくださるから。私はキリスト教福音宣教会での学びが一番納得できました。わかれば現実的だったし、一番理にかなっていたので。
<死>の恐怖なんてわかりません。わかりたくもないです。
こんなちっぽけな私に何がわかるでしょうか。何もわかりません。
わからずに死んでいきたいです。そう思うぐらい<死>は私にとって重たい。
生きたいです。苦しいこと、痛いことなんて感じたくない。
<死>の前の感情、思い、何もわかりません。想像しかできません。
<死>は得体の知れないもので怖かった。
<死後の世界>なんてないと思っていたから、<苦しんでまで生きたいと思う理由>がわからなかった。
今はわかります。
私たちは<今だけを生きる存在ではない>ということを。
先生が神様がどう考えていらっしゃるかを教えてくださいました。
『人間を創造した目的は、今生きている人生だけでなく、死んだ後も生きる<霊>を素敵に作るためだ』と。
生きたい思いは<肉体>と<霊体>2つの思いだと。
死んだら終わりではないけれど、<霊体>を育てていなかったら死んでもやりきれない。
だから<霊体>が叫ぶんだ。「もっと生きたい!」と。
天国は<霊>がいく世界だから。<肉体>は死んだら土に還るでしょう。
じゃあなぜ人は死後の世界を考えるのか、死後に報われることを求めるのか。
<肉体>が死んだ後も永遠に生きていく<霊>が人間には備わっているからだと。
だから、生きている間に<霊>を育てなさい。<霊>が生きる糧は<唯一神でいらっしゃる神様の御言葉>だと。
死にそうになってもがきながらも生きたい理由は、<このまま死んだら後悔するもの>があるからだなあとは思っていました。
それが<自分の霊>とは全く思っていなかったけれど、学んで納得しました。
夢見る極楽浄土、天国の世界に行くことを願うけれど、確実に行ける方法は<自分の霊を育てること>だと。
天国は<霊>でいらっしゃる神様がいらっしゃる世界だから、<霊>であってこそ行けるのだと。
あの頃の一生懸命悩んで泣いて考えていた私へ。
いまだに<死>は怖いけれど、<死ぬときに後悔しない生き方>を見つけました。
ステパノも石で打たれて死んだけれども最後は笑顔だったって。主と共に最後までやりきったから幸せだったんだって。
私も死ぬならそうやって死んでいきたいなって思ったよ。
<聖書>に書かれている<唯一なる神様の御言葉>を学んで<自分の霊>を育てることだって。
始めは信じられなかったし受け入れ難かったけれど、神様のおっしゃっていること、今まで私が経験してきたことと照らし合わせると本当に正しかったよ。