教会と信仰のあれこれ

自分の価値を知る方法のひとつは<自分を安売りしないこと>だと思う今日この頃。

神様はずーっとずーーっと「あなた、本当に生きてくれてありがとう」って言ってくださるんですけれど、私は「いやあ、私なんて大したことないっすよ本当」って思うんですよね。

わからん。

鄭明析先生はずっと「あなた自身の価値を悟りなさい」と言ってくださるんですけれど、私は「いやいや、私なんてあれも出来ないしこれも出来ないし・・・」って思うんですよね。

わかりまへん。

なんでこんなに自分のことを大事にしてあげられないんだろうね。

ってそういえばずーっと思っていたな。
神様を信じる前にグイグイ生きていたあの頃の自分と比べてみる。
うーん、ピンと来ないなあ・・・。

・・・って思っていたんですよ。
最近ハッとしました。

「自分を安売り」してる〜〜〜!!

これだあ!!!

気づいちゃいました。気づいちゃいました。
社会人になって尚更「会社の害にならず、会社に必要とされる人間になりたい」って思っていたんです。やっぱり信仰者たる者、周りに悪く思われるのって嫌じゃないですか。神様のことも誤解されそうなんで。

「神様を信じているから」
「神様の優しさを知っているから」
「いい人でありたいから」
「いい信仰者でありたい」
そう思うがゆえに当たり障りのない感じで生きていたなあって気づいちゃったんです。

具体的には
・ネガティブな言葉を使わない
・文句や愚痴は言わない
・言われたことは断らない
・人付き合いは断る
などなど。

普通のことだと思うじゃないですか。人付き合い以外。笑
普通だと思うじゃないですか。

やりすぎたわ。

ちーーーん。

なんと言ったらいいんでしょう。
「聖人君子」のようになりたくて?なのか?そう思って?
「良さそうなこと以外できなくなった人」になってしまった。

全部自分のために。と思ってやっていたことだったけれど、味気ねえな、私。こうやって箇条書きで書いたらやばさを実感した。
でもこれが<いい信仰生活を送る方法>と思っていたのも事実。
そうやって3年過ごして来ましたが、自分にかかるストレスがえらいことえらいこと。崩壊寸前です。あかんわ。味気ないと掴み所がないし個性も見えないから、あんまり会社の人とも仲良くなれなくて。仕事はできても人として受け入れられていない感覚になるや。どんどん自分の存在が大したことないものに思えてきたんですよね。

わーい、わい。

なんでこんなことを考えるようになったかと言うと、明らかに自分の落ち度じゃない時に『私が悪いんだ』って思い込んでいたことに気づいたからです。客観的な状況把握をすることは大事ですね。

いろんなことを我慢していたんですけれど、やっぱり筋が通っていないものを我慢することはできないし、いち従業員がこんなことを言うのもおこがましいかもしれないけれど「私のこと全く考えていない仕事はやりたくない」って本当に思う。自分の価値を地に落とすわ。だからと言ってあれこれ全部主張するのも違うんだけれどね。判断とバランス大事。

元同期とご飯に行って、同じ部署の先輩と話して思った話。

そう思って考えて主張しだしてから、自分の心にかかる負担が綺麗に消えていきました。マジでストレスフリー。
なんでもかんでも飲み込んで受け入れるのが優しさ・寛容さではないということですね。
まあこれも良識・良心・御言葉を基準にしなければただのわがまま放題になるので注意ですけれども。

「おかしい」と思ったことは飲み込むんじゃなくて主張するべきだわ。
ほんで、割に合わない話は断るか工夫するかをしていい。そのままやると私にリターンがこない。うん。『行なった分、得られる』って神様も仰っているし。
仕事にも教会生活にも通ずる部分があるなあ、と思うそんな夜。

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denden
denden
神様の次に音楽を愛する関西人。 基本ポジティブでテンションが高い。でも考えは深い(と思いたい)。 座右の銘は『楽しんだもん勝ち』。 人生を生きる中で辛かったあの頃の私に、「神様ってすごいんやで!」と伝える自叙伝『小心者、神様に出会う』シリーズをゆるりと更新中。