「信仰は歴じゃねえ!」ってよく言うけれど、その一方で「まだあの子幼いから・・・」みたいな会話もよく聞きます。
どっちやねーん!
ほんで、思いました。
「幼い」ってなんぞや?
こういう<言葉の定義がわからなくなった時>にまず頼るのが辞書ですね。
鄭明析先生もよく「この言葉を辞書で引くと・・・」って分析してくださいます。
今週の聖句、ガラテヤ人への手紙の5章22節の単語たちも「辞書引いてね」みたいなこと仰ってたな・・・。今週のどっかで記事にできたらいいな。
ということで、「幼い」を辞書で引いてみます!
おさ‐な・い〔をさ‐〕【幼い】 の解説
- 1 年齢が若い。幼少である。いとけない。「息子はまだ―・い」
- 2 幼稚である。子供っぽい。「考え方が―・い」
(goo国語辞書より引用)
そしてここで例文を作って言葉の意味合いを確認していきます。
まず、『年齢が若い、幼少、いとけない』の方で「あなた、幼いね」と言ってみましょう。
その言葉の意味は、
「あなた、神様を信じるようになってからあまり期間が経っていないんだね。」
・・・ということでしょう。これはわかる。
私も5年経ったぐらいだし、まだ若いはず。そういう意味では私も幼い(と思っておきたい。だって健康だったらあと60年ぐらいは生きられるわけだし)。
それじゃあ次。
『幼稚である、子供っぽい』の方で「あなた、幼いね」と言ってみましょう。
その言葉の意味は、
「あなた、信仰のレベル低いね。」
・・・ということだと思うんですよ。
自分でも棘のある表現だなあと自覚しているんですが、疑問視しているのがこの部分なんですよね。
「信仰の歴が浅い」=「信仰の質が低い」なのか?
と。最近めっちゃ思うわけです。
なんとなくですが、私の周りでこの言葉使われている時に「幼い」の意味が混同していると思うんですよね。そういう空気感があるなあと思うのです。笑
「子供」と言うと、人が見るときは満6才から12才までの人です。しかし、神様がご覧になるときは「知らない人」が他ならぬ子供です。「信仰が幼い人」も子供です。 みんな経験しましたが、子供の時が本当に重要な時期です。この時は正しく教え導いて、正しく学んで行なうようにしてあげなければなりません。
2013年5月5日主日礼拝「子供を飼育しないで、放牧しなさい」より
なんかねえ。
信仰歴は浅いけれど、深く祈ったり御言葉を確信している子たちが『幼いって思われているから相手にされない』という場合もあるそんな現実・・・🤔うーん、どうすりゃいいのか悩みどころ。
「幼い」からあれからこれまで面倒を見られるのか?信仰歴が浅い子は「私は幼いので・・・」って自分で言わないと意見を聞いてくれなくなるのか?
それとも本当にその子が「信仰が深くなくて幼いから意見を聞くに値しない」のか・・・?
子どもたちと信仰の幼い人たちは、知らないから様々に考え、あれこれとやってみます。 ところが親と指導者たちが「それではない。そのようにするな」と言って、いちいちことごとく、ねちねちと問いただして、怒り、叱り、干渉し、指導して育てます。この方法は家畜を飼育する方法です。まるで閉じ込めておいて育てるのと同じです。
子供たちと信仰の幼い人たちを教え、管理をするときは、自由にさせておいて、線を越えていくことについてだけ話をすべきです。そうしてこそ、神様と聖霊様と御子がその人にその都度感動を与えて、個性通りにお育てになります。
平素親や指導者は、子供や信仰が幼い人たちが自分の気に入らなければ、全部指摘をし、やめさせて、自分の主観を植えつけます。これが、命を閉じ込めて飼育するやり方です。
親が子どもに接するときも自分式に育て、命を伝道しても、分体に任せないで自分式に育てます。御子と聖霊が彼らをどのように指導なさるのか知らないで「しろ。するな」と言うのです。 親も指導者も子の教育方法が間違っているということです。
2013年5月5日主日礼拝「子供を飼育しないで、放牧しなさい」より
信仰歴の若い子がみんなが言わない意見を言っただけで「あの子信仰大丈夫かな、見とかないと」って思われるのもどうなんだろう🤔うーん。どう思いますか?神様。
私だったら、今まで自分が神様の前でやってきた全てのことを否定された気分になってめっちゃ嫌です。むーん。
私は「神様と考えが一体・御言葉を核に考えている・神様の愛と視野で物事を見れているなら、信仰1年目でも幼くない」と思っています。
まあ、なんやかんや書きましたがこれは私が感じていることなので・・・。
ひとまず私が「幼い」という言葉の扱い方に気をつけることにしよ。
この感覚、神様もそう思っていらっしゃるならみんなも気づいていくだろうし、私が間違っていたら「私が間違ってた☆こういう風に感じちゃうときはこんなことがあるかもよ!気をつけてね!」みたいなブログを書くことでしょう!
では、これから水曜礼拝なので!アンニョン!さよなら〜〜!
でもあれか、私の心休めのために引用した御言葉、2013年に説教されたものかあ。。。
7年前に置いてかれている部分があるのかもしれないなあ・・・笑