「神様には話せるから」と祈っていてもなかなか解決しない場合、
どれだけ言いづらくても誰かに話すことをオススメします。
そうしたら祈りの条件を持って解かれることがたくさんありました。
身をもって体験した次第でございますので、少し記録しておきます。
「神様の御言葉が成されることを信じること」が信仰なんですよね。
11:1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 11:2昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。 11:3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
ヘブル人への手紙 11章1節〜3節
ほんで私、ちゃんと旧約聖書・新約聖書を学ぶようになって、「はーん?この御言葉は確かに正しいわ。鄭明析先生も神様を徹底的に信じてらっしゃるわな。おっけー!御言葉が宣布されたら信じます!」って思っているんですよ。基本的に。
御言葉で「イメージ湧かんなあ?」って思うことがあったとしても、「神様の御言葉やし、そういうふうに成されていくねんな!おっけー!」と理解する努力をしているので、礼拝では「アーメン!」と熱く反応しています。笑
でーすーがー!
信仰生活をするようになって6年?7年?が経とうとしている私ですが、どうしても心の底から「アーメン」と言えなかったジャンルがあるんです。それが!
「対話」と「和睦」。
神様はおっしゃいました。
「<核心>は『和睦』だ。一緒に交わって遊んでさえいれば和睦になるのではない。心のわだかまりを解かなければならない。そうするためには互いに胸の内を話し、対話しなければならない」とおっしゃいました。 核心は何ですか?「対話」。そして解くのです。
2016年7月24日主日礼拝「対話で解きなさい。解いてこそ和睦するようになる。」
ずーーーーーっと一人で抱え込むタイプです。
何がというと、楽しいことや面白いことは共有しがちですが、
辛いことや悲しいことや理不尽だと思ったことは「聞く人も悲しくなっちゃうんじゃないか」って勝手に考えてしまって飲み込みがちなんです。
他の人の話はちゃんと聞くのにね!!!笑
「わかってんだったら話しなよ〜〜」って感じに思います。
私も客観的に自分を見たらそう思います。でも無理だったんですわ!
だって思い返せば小さい時からそういうコミュニケーションの取り方をしていたもんですから。
最近心の底から思うことがあるんですよ。
「辛いことや悲しいことを共感してくれる人って信頼できる」と。
友達や先輩・後輩の話をよく聞いていた私は、だから私が思っている以上に信頼されていたんだなということを今になってひしひしと感じます。当時は私が思っていた以上の信頼が返ってきてビビり倒していましたが、やっとそうなる心情がわかるようになりました。ほんとごめん友人たち。
私は辛いことは話さない人間です。心配してくれてもその心配がもどかしくて適当に流しちゃうタイプの人間です。「心の底から人を信頼することはなかったなあ」と今振り返っても思います。
好きか嫌いで言ったら圧倒的に好き!なんですけれどね、私からの信頼関係が築けないだけで。コミュ力爆発的にあるけれど、これじゃあ気の許せる人間関係って作られへんよなあと思うわけですよ。(これ今後の私の成長課題な)
ほんで、この御言葉よ。
地上でできたわだかまりは神様に祈るからといって解けるのではありません。聖書にも書いてあります。
マタイによる福音書18章18節
「よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。 」
地上でつながれたことは地上で解かなければならないと書いてあります。だから、互いに対話して解かなければなりません。そうしてこそ天でも解いてくれます。その時、主の心も解けます。その時にはじめて「和睦」が起こります。その時から教会は命の流失が少なくなり、教会もリバイバルします。
2016年7月24日主日礼拝「対話で解きなさい。解いてこそ和睦するようになる。」
つい最近までの私なら、こういう和睦系の御言葉が出てきたときには「うーん!神様の御言葉で成されるものだと思うけれど、アーメンって勢いよく言えないな」と思っていたのです。
<一部は完全に信じているけれど、一部は完全に信じられない>という、乗り越えなあかん状況になっていたんですわ。
でも、この前、「ほんまに対話で和睦ってできるんや!話すことで心情がほどけて落ち着いて、わかりあうことってできるんだな!自分の弱い部分も受け入れてもらうことができるんやな!」って初めて思いました。28年間生きてきて初めて・・・と言いたいところですが、高校1年生の時に実は1回ある(笑)。
でも、確信を持てるレベルで「対話で和睦ってほんまそれな!アーメン!」思えたのは初めてです。快挙👏👏👏
教会で走る中で本当に誰にも言えず自分だけで抱え込んじゃったことがあったんですよね。6年ぐらいずっと引きずっていて、今も引きずっていることがあるんですよ。
それをね、この前教会のオンニに初めて「その時に何があったのか、その時にどう感じたのか、本当はどうしたかったのか。」をぜーーーーんぶ話すようになりました。
対話前と、対話後で変わったことは下記の通り。
<対話で和睦する前>
・ずっとネガティブ方向に思考が伸びるので、どんどん自己嫌悪が増してくる
・「誰にも話せない」と思ってさらに引きこもりが加速
・私自身の価値やできることなどについて否定的になる
・神様の御言葉に対しても後ろめたくなる
・はじめは神様に祈れていたからいっか!と思っていたけれど、だんだん祈れなくなる
・感情が欠落する(←これほんまやばくなる!!笑)
・ご飯が美味しくない(←死活問題)
<対話で和睦した後>
・やっと前向きになれた
・話すことで、わかってもらうことで振り切れる感情があることを知った
・自分のやるべきことを考えられるぐらい、思考に余裕ができた
・神様の御言葉に対して確信が増した
・感情が復活してくる
・ご飯がうまい!!!
・頭が爽快だから視界もクリア
激変も激変よ。
「神様の御言葉ってほんまに万人に当てはまるのね・・・😲」とひれ伏す勢いでございます。
最後にオンニに、対話の時のコツをちょっと教えてもらいました。
もし悩んでいる人がいたら参考にしてください!参考にね。
・話す人は選ぶこと(その話題を理解してくれる人かどうかも大事)
・大変だけれど隠さず説明しきること
・お互い分かろうとすること
・話す人によって言葉のニュアンスが違うから、誤解がないように確認して認識を合わせること
ということで、私の中で革命が起こった証でした。
せっかくだから次はここまで自分の中でわだかまったことについて記録していこうと思います。笑