教会と信仰のあれこれ

【経緯】「人生楽しんだもん勝ち」を極めていたら神様に出会った。

「自分のために人生を生きて限界にぶつかった。
その時に出会うのは神様だ」

鄭明析先生の弟・ポンソク牧師が「自論だけどね」と前置きして教えてくれましたが、ほんまにそうだと思います。
だって私が神様と出会ったのがまさにこの言葉通りだったので。

私のプロフィールにもありますが、座右の銘は『楽しんだもん勝ち』なんですよ。

あと、このブログの紹介文にも「楽しい!」を追求していたら神様に出会っちゃった。って書いてるんですよね。本当にそうなんですよ。

いろんな人が、いろんな方法で神様に出会います。
その経緯は比べられないし、これが最高だなんて決められないんですよね。私は私、あなたはあなた。なので、私(=でんでん)はそうだったんだなって思いながら読んでいただけると嬉しいです。

私には宗教は必要ないと思っていた

私、『宗教はさまよっている人に必要なもの』だと思っていました。生きるのが辛くて、死にたくて、どうしようもなくて。すがるものがほしい人に必要なものなんだと。

だから私には必要ねえぞと思っていたんですよ。周りの人から「いい人生だね、羨ましい。どうやったらそうなるの?」って言われる生き方をしてたと言う自負心があるんです。

中学・高校のいろんな経験+母親の死を乗り越えて『人生1度きりだから最高に生きなければ!私は可能性のかたまり!』と言う人生の軸を作ったんです。(途中段階ですが、「小心者、神様に出会う」シリーズで書いていきたかった内容でもあります。また書く気が起こってきた)

だから何事も全力で取り組んだんですよ。
「何事も楽しめた方が人生得する気がする」
「酸いも甘いも享受できる人になってやろう」
「”楽しい”を最高に極めてやる!」
そうやって思うと、いろいろ工夫するわけです。早くやる方法、楽しくやる方法、やる気を出す方法、物事の本質を見極める方法・・・たくさんの人生スキルが身につきました。あとしょうもないことでも爆笑してしまうゲラになりましたw

でもね、そうやったら楽しかったし、いろんなことができるようになりました。苦手意識を完全になくしたわけではないですが、やらないといけないことに対して「楽しくやろう」って思えるようになりました。ほな何でも楽しくなっちゃうわけです。最高だね!

なぜ私を別次元の人間だと思うんだ

そんな感じで模索&実践&コツを掴むエブリデイを過ごしていたら、高校と大学の友達にこう言われるようになりました。

「なんでそんなに頑張れるの?」
「なんでそんなにいろんなことができるの?」
「なんでそんなに楽しめるの?」
「苦手なものないの?」
「嫌いなものないの?」
「どうやったらそんなに優しくできるの?」
「精神、仏か?」
「でんでんだからできるんだよ」
「でんでん、すごいなあ」
「私にはそこまでできんわ〜すごいな〜」

めっちゃ困った。

私も模索中なんや!そんな確証もないのに「人生の道はこれだよ」みたいに答えられるかあ!と何度思ったことか。
だからそう言われるたびに「まあね〜」と濁して苦笑いしていました。私はそんな人に人生を教えられるほど高尚な存在ではねえぞ。みんな私を聖人君主だと勘違いをしている。

「将来、宗教開けそう」って高校生の時にトリオ組んでた2人から言われたことがあります。大小の楽しみを追求するあまり、普通のJKの感性からずれていたんでしょう(笑)。褒めてもらっていると受け取って「じゃあその時には入信してな〜!」って言ってましたね。自分の人生を楽しむことでいっぱいいっぱいで、人に教えるなんて考えもしていなかったくせに。よう言ったな当時の私w

「己の人生を最高に楽しんだら私と同じだぞ?自分を最高に大事にして人生楽しんでもらおうと努力しているだけやで?それ以外はみんなとほぼ一緒やで?」って思っていました。
私は私を最高に大事にしたかったし、自分の人生を<楽しい>で塗りつぶしたかったのです。

ついに<楽しい>が限界に

<楽しい>を極めていたでんでん氏。おかげさまでいろんな次元の<楽しい>を噛みしめることに成功しました。
お金を払って享受する遊園地とかレジャー系の<楽しい>も、物語の世界に入り込んで感情移入する<楽しい>も、作品を作り上げる<楽しい>も、極めるために努力する<楽しい>も、苦手を克服した時の<楽しい>も味わいました。<楽しい>にもいろいろあるね。


しかし、そんな私も大学でとある壁に出会うようになります。

今思えばあの状況はまさしく限界でした。<楽しい>の限界にぶつかったのです。

大学生になってバイトができるようになりました。バイトの鬼にはならなかったですが、旅行や遊び、美味しいご飯を食べるためにバイトをして楽しみました。国内のいろんなところに行ったし、いろんなレジャーをしたし、いろんなご飯を食べました。楽しかったんです。

でもある時、ふと考えました。


社会人になった自分を想像したのです。
働いてお金を稼いで、旅行に行ったり買い物したり遊んだり美味しいものを食べたり。稼げるお金の規模が変わるから、海外だって高級ブランドだっておしゃれな料理店だっていけちゃう。わあ、良いじゃん。

・・・・待って。それだけ?

それって行動範囲が広がるだけで、私の感じる<楽しい>の幅は広がらなくない?あれ、「金額と規模が変わるだけ」で、数年感じていた新鮮なワクワクと同じぐらい心踊る毎日になるのか・・・?

どれだけポジティブに将来を想像しても心踊らならなさそうなんだけれど!まじか!

違う場所に行って、遊んで、美味しいもの食べて。海外だとしても、使える金額が上がったとしても、本質的には今やっていることと一緒じゃん。いや、楽しいんだけれど。楽しんだけれどね。新鮮さにかけるというか、そのレベルの<楽しい>に慣れて行っちゃうじゃん。新しい経験は?新しい感覚は?私の<楽しい>が色あせていく気がする。
しかも社会人って40年とかそれぐらいじゃん。その年数をやって行けるほどのワクワクパワーを将来に感じられない。え、生ぬるい楽しさなんていらないんだけど・・・。人生どうしよ。

私にとっては致命的な限界でした。死活問題よ。私の「最高に楽しく生きる人生計画」に暗闇が訪れた瞬間でした。新しさがないという絶望。めっちゃショッキングで心臓止まるかと思いました(リアルに)。
それでも楽しく生きるのはいいことだから、と今までやっていた旅行やご飯やらで楽しもうとする日々。

そんな時に出会った神様

そうやって感じたのが大学2年生の終わり。いろんな出会いが重なって聖書を学ぶようになりました。

私は関西学院大学に通っていたのでキリスト教学の授業も受けたし、チャペルにも参加していたんですよ。
そんでね、そこの教授がまあ面白かったんですよ。どのあたりがというと、「聖書も知らない人たちのも聖書を知ってもらおう、身近に感じてもらおう」という工夫がすごかったんですね。ジブリ見たりしました。これでどの学部の教授なのか、関学生ならわかるかもしれませんね。そうです。私は社会学部の出身です。笑

その1年間の授業を通して「聖書って思っていたより堅物ではなさそう🤔?」と私は思うようになったわけです。教授、本当にありがとうございます。あの授業で私は聖書への抵抗感が激減しました。

まあそれでも聖書の内容がよくわからなかったんですよね。身近な存在っぽいということはわかったけれども、「なぜ信じるに値するのか」がわからなかったんですよ。

そういうのを知りたくて聖書を学び始めました。正直自分が神様を信じるとは思っていなくて、異文化交流ぐらいのつもりだったんです。あと知的好奇心。

でもね、学んでいる途中は紆余曲折ありました。

私が経験則で作り上げた<人生楽しむメゾット>全部入っていた・・・!

ちょっと悔しかったですね(笑)。こちとら人生数年かけてぶつかりながら学んだのに聖書に書いているやないかい!(笑)
人への思いやりも、物事の考え方も、時間の使い方も、全部入っていました。
だからなのか。学び始めた当初、聖書のいいエピソードとか教訓とかはあんまり響かなかったんですよね。「だってそうじゃん。そういうもんじゃん」みたいに思っていたんですよ。笑
お祈りするにも半信半疑、賛美をするのは普通に歌を歌う感覚。「神様いると思います〜」とか言いながら「いないやろ」って思っていました。神様の存在自体を疑っていましたね。笑

でも、そのレベルで終わらなかったのが聖書だ。
神様はレベルが高いと言わざるを得ない瞬間が訪れました。

神様に出会って得た<最高に楽しむ人生>の鍵

続けて御言葉を聞いていたら「神様ってすっげえ!本当に神様が地球を創っていなきゃ成り立っていないことがたくさんあるわ!こりゃ信じる以外の選択肢ないな!」って思った瞬間があったんです。

私が見つけられなかった<社会問題の解決法>、<愛不足の問題>、<人生の生きる意味>。それらすべてを聖書から学べました。

どんな大人も、どんな本も、どんなテレビも教えてくれなかったことでした。私が知りたくて乗り越えたくて必死に自分式に研究していた部分でもありました。

まじかよ。まじかあ。答えは聖書にあったのかあ。まじかあ。
最後まで学んでよかった。途中で辞めようと思ったけれど、キリスト教福音宣教会で伝えている聖書の御言葉は聞くに値するわ。まじかあ。

知らなかった。こういう理由で地球を創造したのか。こういう理由で私たち人間は創造されて生きるようになって、個性を持って各自の人生を生きているんだ。はーん。
<生まれた意味>を知らなかったから、私は人生を楽しむことに限界を感じていたんだ!

まさに自分の人生のために全力で生きて限界にぶつかったときに、神様に出会ったのです。

・・・ということを思い出したので、備忘録がてら記録。


それから私はキリスト教福音宣教会で神様を信じ愛して生きるようになりました。旧約聖書を学び、新約聖書やイエス様についても学ぶようになりました。
私の「人生を最高に楽しむ計画」は止まりませんでした。止まりかけましたが、神様に出会ったので再び力強く進み始めました。
社会人期間の40年ちょっとをどう生きればいいんだ!という問題も解決しました。笑


なのでこれからの人生も、神様と一緒に楽しんで、好き勝手やって生きます!

ABOUT ME
denden
denden
神様の次に音楽を愛するキリスト教福音宣教会の関西人(関西学院大学卒・神戸教会所属)。 基本ポジティブでテンションが高い。でも考えは深め。座右の銘は『楽しんだもん勝ち』。感じること・考えたこと・思ったことをそのまま残しています。 シンガーソングライターへの道を目指し始めたバンドが大好きな聖歌隊長でもあります!
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