NEO賛美(作った曲)

『ねぇ、先生。』オリジナル曲できました!

早くも2021年4作目になりました。
「先生、これってどういうことですか?」となんでも質問する生徒に見立てています。聖書を深く学ばれ、神様一筋で生きてこられた鄭明析先生の姿にインスピレーションを受けました。


鄭明析先生にとって、「先生」と呼べる存在はイエス様でした。

ただひたすら神様

鄭明析牧師の人生を表すならば、「ただひたすら神様」の一言に尽きます。韓国が朝鮮戦争による極度の貧困と飢餓の状況にある中、彼は9歳のとき聖書に出会いました。貧困ゆえに小学校しか卒業できず、昼は両親の農作業を手伝い、夜は山や洞窟にこもって明け方まで聖書を読み、祈る、という修道生活を続けました。

そんな彼の姿を理解できない親兄弟や村の人々から「彼は気が狂った」と揶揄されながらも、ひたすら神様の愛に挑戦し続けたその生活は、気がつけば21年が経過し、真理を求めて読み続けた聖書は通読2,000回以上に至りました。

イエス様をひたすら愛して神様の愛を深く悟った彼は、神様が好むことをただ行なって生きようと決心し、町へ出かけては老若男女問わず福音をのべ伝え、病人や貧しい人に着物や食べ物を分けてあげ、神様の愛を実践していったのです。

鄭明析牧師紹介HPより

先生はイエス様のことを知りたいと願いながら、2,000回以上聖書を通読し、ひたすら祈る幼少期を過ごされました。

初めて鄭明析先生の修道生活の話を聞いたときは「なんじゃそら」と思いましたし「フィクションじゃないか」とも思いましたけれど。
先生の生き様をここ数年見させていただいて変わりました。真摯に神様に向き合う姿勢が、神様のことを少しでも多く理解して差し上げようとする姿勢が、私の心を動かしたんですよね。

(イスカリオテのユダが死んだシーン、マタイによる福音書では「首を吊って死んだ(27章5節)」と書かれており、使徒行伝では「腸が出て死んだ(1章18節)」と書いてある。どちらが正しいのかという話の流れで)
イエス様に学んだら、<自分が見たことだけを書いた>ということが分かりました。そのようにして、聖書を21年間、そういう質問をしながら学んだのです。成長と共に、少しずつ教えてくださったのです。

20210502 主日礼拝「あなたたちが主に学んだから、先生となって主を証し、教えなさい」より

なので曲にしてしまいました。笑

1番の歌詞の一部はこの部分から来てます。

最初からすべて教えてくださったのではありません。食べるものもないし。イエス様は一度もご飯を下さったことはありません。イエス様は霊人体でしょう。お腹は空かないでしょう。「私は肉体です。考えてください」と言いました。「もうお腹が空いて死にそうです」と言っても、「今学ばないと学べない」とおっしゃいました。

霊界で見たら、イエス様の10分は肉界では数か月になります。「死なないから心配するな。」後で休暇をもらいましたが、「トイレに行ってきます」と言って下りてきて、さつまいもを食べて戻りました。そのようにして学びました。

20210502 主日礼拝「あなたたちが主に学んだから、先生となって主を証し、教えなさい」より

他にも洞窟に入って蝋燭1本の灯りでお祈りされたり聖書を細かく読まれた話とか。
言葉だけで聞いたら「それほんま?」ってなるけど、曲にするとスッと入ってくるから不思議。

最後に。歌詞に入れている『いろんな人がいろんなことを言います』について。下ハモリを入れている部分ですね。これは書いておきたかった。

私は、復活について、再臨についてもこんがらがりました。ここはこう言うし、あっちは違うと言うし、同じ聖句をもって、違う教え方をします。信仰、研究、霊的な神様の感動の差があるということを悟りました。しかし、真理ははっきり教えるべきですが、私はこんがらがりました。

20210502 主日礼拝「あなたたちが主に学んだから、先生となって主を証し、教えなさい」より

聖書に書いてある、復活、再臨、引き上げ、十字架…これらのことについていろんな人がいろんなことを言っていたそうです(なんなら今でもいろんな解釈がある)。

1つエピソードを挙げるならヨイド広場の話ですかね。(歌詞にもそれとなく入れてる)
私は日本にいるので馴染みがないのですが、韓国ではヨイド広場というでーーっかい広場で、クリスチャンの方々の集会があったそうです。

「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」(テサロニケ人への第一の手紙‬ ‭4章17節‬ ‭)の聖句があるんですけどね。これを読んで『主に会うんだ。私は空に飛んでいって一生主と暮らすんだ』と思って全財産を売り払った人、いたそうです。でも結局肉体は空中に上がらなくて、そのまま神様を信じなくなったというエピソードを聞いたことがあります。いやまあ私も「え?絶叫系にでも乗らない限り人間は重力には逆らえないよ…」って思いました。

鄭明析先生も「一言一句違わず信じているのになんで何も起こらないんだ」という状況に疑問を感じられたそうです。だから神様に、そしてイエス様に祈りでたくさん質問されました。「神様はどうお考えですか」と。

そうやって祈り倒す中で、先生が聖書から気づき、悟ったことがたくさんあります。すごく筋が通っているんですね。理にかなっているんです。それを礼拝の時や月明洞に遊びにいった時(今行けないけど😭)に私たちに還元してくださいます。ありがてぇ。

ひたすら神様。ただ、神様。
そして神様に確認、確認、確認…。
私の人生経験上、キリスト教福音宣教会に来るまでに出会ったクリスチャンの方々は十数人なんですけれど、鄭明析先生ほど神様に全身全霊で向き合っている方は見たことないです。

実際は相当過酷だったとも聞いています。山も吹雪いている極寒。山道だって急傾斜。祈っていたところは岩壁。何日も食べられず暮らす生活・・・。想像もしたくないですね(笑)
でもそれがリアルなんですよ。そういうリアルな先生の生き様を、デフォルメして受け取ってもらいやすい曲にしたいなと思って、今回の作品ができました。楽しんでもらえたら幸いです!

毎度ながら参考にした私の好きな曲たち

①『地獄先生』/相対性理論
「先生」って先生に話しかけている歌詞がサビにあるのよ。歌詞の構想はここから来ました。あとこの曲の雰囲気は相対性理論のサウンドをイメージ。クリーンなギターって打ち込みじゃ限界があるね…
②『サボテンレコード』/フジファブリック
サビでいきなりテンポ感変わるのが好きすぎて。でも結局この曲は同じテンポになった。当分ないだろうけれどライブでするならサビはテンポ上げたいな!
③『ミライボウル』/ももいろクローバー
サビで別曲になる感じ。本当に好き。私はれにちゃん推し。

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 INFP-Aの内向型人間。営業に片足の太ももぐらいまで突っ込んでる企画職。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。