教会と信仰のあれこれ

2022年の抱負。「恥じない私になる」

そして「やりたい!」と思ったことを1つずつ、着実に、実現させていく年にしていきたいです。


遡ること2日前の12/30。とあるツイートを見て、去年の反省点という名の「今年の課題」を一気に自覚したんですよ。
それはずばり。

恥ずかしがらないこと。

うえはらけいたさんのtwitterより。ぜひ2/2も見てください!

これよ、これこれ。

気づいたきっかけは、年末にブログを書いているメンバーで集まった時。1年間の感想や神様が働きかけてくださった証について話していた時のこと。

私ね、ここまでいろんな内容でブログを書いて来ましたけれど、同じ教会の人にはあんまり宣伝してなかったんですよ。(何も言ってないのにこのブログを見つけてくれてる人がいました。ありがてえ)

ブログをやっていくための次のステップとして「1人でも多くの人に届ける」という段階が見えているのに、私は自分の文章が人に見られることがなんとなく嫌だったんです。
ずっと「なんでやろ?なんでブログ書いてるくせに引きこもってたいんかなあ」と思っていました。

恥じていたからだったわ。

今年からはもう恥じません。頑張る。笑

「恥じない」のニュアンスに近い言葉は「自信を持つこと」だと思っています。

ところがどっこい。
私には「自信を持つ」って言葉は「高慢になる」って意味合いに聞こえてくるんです。あくまで私の場合です。似た感覚の人もいらっしゃるかもしれないですね〜。

でも私は「恥の文化」がある日本で育ってます。
(「菊と刀」byベネディクト。読みたくなってきた)
「恥ずかしく思うな」という言葉は、私の手にかかれば「自信を持て」という風に受け取れるんですよ。革命レベルの悟りやない?笑

御言葉では「自信」ではなくて「自尊心」って表現をすることが多い印象。
「自尊心」もピンとこない私。
「自分を恥じるな」って言われる方が一番しっくり来るしやる気が出る。

今までの自分の歩んできた人生も、キリスト教福音宣教会で神様を信じるようになったことも、全部ほんまによかったと思っている。だからある意味、価値性は噛み締めているはずなのよね私。
でもどこかで力が入らない。やりたいのにやれない。自信がない。2021年の下半期は特にこんな状態でした。

足りなかったのは「頑張って生きてきた私を、私自身が恥じないこと」でした。うん。この表現がすっきり。

うーん。言葉のニュアンスって難しいね!笑
納得いく表現探しは大事やわ。

恥じない自分に作っていく、そういう1年にしていきたいと思います!
すでに結構前向きに色々取り組めているから、この悟りは私にとって効果抜群。私らしく1年がんばろ〜!

ABOUT ME
denden
神様の次に音楽を愛するキリスト教福音宣教会の関西人(関西学院大学卒・神戸教会所属)。 基本ポジティブでテンションが高い。でも考えは深め。座右の銘は『楽しんだもん勝ち』。感じること・考えたこと・思ったことをそのまま残しています。 シンガーソングライターへの道を目指し始めたバンドが大好きな聖歌隊長でもあります!