なぜ「信じる」と、こんなに面白くなるんだろう?
勝つと「信じている」から、熱狂する
先日ね、にじさんじ甲子園見てたんですよ。
パワプロっていうゲームの栄冠ナインというモードを使って高校の選手を育成して対戦するんですけれど。
普通に試合がおもしろくって、なんやかんや最後まで見届けました。
敗者復活の決勝とか、決勝戦は本当に手に汗握る戦いだったので、ドキドキしながらどちらが勝つのかを見ていました。
・・・そこでふと思ったんですよ。
「あれ?私なんでこんなにドキドキハラハラしながら観戦してるんだろう?」
たかが試合、されど試合。
でもなんでこんなに心が熱くなるんだろう。
そう考えてみた時に、一つ思いました。
応援しているチームが「勝つことを信じている」からなんだと。
私たちは、思った以上に「信じて」楽しんでいる
「信じている」時は意外と身近に転がっていて。
ゲームでも、「このキャラがいてこの展開ならこうなってほしい」
アイドルなら、「この人はもっと大きなステージに立ってほしい」
身近な人を応援するときも、「この人ならできる」
自分がステージに立つときも「ここまで準備したからできる」
そういうふうに、「信じる」ことで勇気を持って、「信じる」ことで最後まで熱量高く走り抜けることができるんだなということを思うようになりました。
未来が確定していないからこそ、信じる余地がある。
そして信じているから、その過程に自分の心まで乗っかっていくんだなと。
「分かっている」と「信じている」は違う
例えばスポーツだと、結果を知っている試合のリプレイを見るのと、リアルタイムで見るのはハラハラ度が違いますよね。
「勝った」と知って見るのと、「勝てる!いける!」と信じながら見るのは全然違う。
信じるという行為には、『まだわからない未来に、自分の心を預ける』という要素があるんだなと思いました。
他人に対しては『最後まで希望を持って見届ける』、自分に対しては『最後までやれることは全てやり切る』という形で。
私は神様を信じているから、ナチュラルに「信じる」ということが日常になっています。
けれど、信仰の有無に関わらず、
「自分ならできる」
「あの人なら大丈夫」
「努力したら変われる」
「明日はきっと良くなる」
と、私たちは結構、証明されていない未来を信じて生きているみたいですね。
じゃあ、神様を「信じる」って何だろう
「神様を信じる」というワードを考えたとき、ぶっちゃけ「神様を信じることになったら、自分の人生の結果が全てわかってしまう」って思いませんか?
なんか、そういうイメージありません?私はありましたよ。
でも、信仰って全部わかってから始まるものではないんですよね。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
ヘブル人への手紙 11:1
心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3:5-6
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
テモテへの第二の手紙 3:16
『聖書』は神様の言葉や御心が記録されていますけれど、そこには人間にとって押さえておくべき大事な要素がはっきりしっかり書かれています。
でもその内容は、『あなたの人生はこうなりますので、お覚悟を』みたいなことは書かれていないんですよね。
だからこそ、信仰生活や教会活動をしていても、ドキドキする時もあるし、思い通りにならないこともあるし、予想外の展開もある。
もし自分の人生に起こることが最初から全部決められていて、その通りに動けばいいだけだったら、自分で考える必要なんてなくなってしまいます。
それこそ、「何も考えずに動く木偶の棒」みたいになってしまう。
でも実際の信仰生活は、全然そんなものじゃないんですよね。
「信じる」ことと「考えない」ことも違うんですよ。
信じるから、人生に参加できる
スポーツを「結果だけ確認する」のと、「勝つと信じて応援する」のでは体験が違う。
同じように人生も、「どうせ無理」「どうせ変わらない」と思って眺めているのと、「何かが起こると信じて、自分も動いてみる」ことには雲泥の差があると思います。
信仰生活をしていても、ここは同じだと感じています。
「信じる」の面白さって、まだ分からない未来に自分自身が参加できることだな、と思います。
聖書を学んでよかったことは、「これ結局何になるんだろう?」「なんでそもそも生きているの?」という人間として生まれ落ちたら1度は気になるであろう疑問に、明確に答えが出たなと感じていることです。
明確に答えが出てはいるけれども、それは人生の「方向」を教えてくれるものであって、何から何まで連れて行ってくれるものではないんですよね。
だから、「信じて」行うことは一緒かもですけれど、私は神様を知っている分、その「信じる」の確証がはっきり持てるようになったことが嬉しいですね。
また、明日からも「信じて」ぼちぼち頑張っていきましょう〜!







