(2020年9月6日追記)
以前書いていたブログの記事を引っ張ってきてみました。2020年以降の記事がこのブログに移行してきてからの記事です。昔の文章はテイストが違うなと思うので見比べてみてください。笑
キリスト教福音宣教会で宗教生活をしていたらよく聞く
「気づいた人が使命者」
と、いう言葉。
礼拝デビューから1年もすれば
誰でも1回は聞くであろうこの言葉。
めちゃめちゃ噛み砕くと、
気づいた人が自信持ってやったらいいよ!
って意味ですが、
一緒に旅行してるお姉さんと話してたら
この言葉に挟む意外な落とし穴を
発見してしまったので記録しています。
この言葉、用法と容量を守って
正しくお使いください☆
<使用法>
「教会がもっとよくなるために、
こんなことできたらいいかも!」
「こういうことしたら
もっと楽しめそうだ!」
「これできたら絶対面白い!」
……様々なきっかけがあって
聖霊様が感動という名のひらめきを
ビビッ!と与えてくださる時があります。
こういう発想をしている時は総じて
「おー!私できるできる!」
「早くやらないと忘れちゃう!」
「気持ちが冷める前にやってしまおう!」
となっています。
気づいた人が使命者です。
あなたは気づいた瞬間から
神様からの特命ミッションの使命者になります。
靴箱のスリッパを入れる向きを揃えることから
礼拝前の雰囲気づくり
私生活充実度向上 何から何まで
あなたが気付けた分動かしていいのです。
<注意点>
あなたが受けた感動を
「これはすごい!絶対みんなにも必要だ!」
と思って周りの人に興奮気味に伝えた時、
「わーすごい!気づいた人が使命者だもんね」
「よっ!使命者!」
と軽〜く言われてしまうことがあります。
この一言により、
「何故だ…!教会の中でも
一番共感してくれそうな人を選んで
話したのに…!」
と、やる気が一気に消沈してしまう事態に
陥ってしまう場合があります。私が良くあるだけかもしれん(笑)
ですが、よく考えてください。
もし仮に自分がそう言われたとして
どう反応するのかを。
①「それ乗った!」と思う
提案された案が
「めっちゃいいじゃん!」
「私もやりたいと思ってた!」
と思うような場合、
「気づいた人が使命者だ」
という言葉を積極的に言いません。
言っても枕詞のように使います。
そして始まるのは
実現に向けての具体的な話です。
「おんなじこと考えてた人が!」
という喜びのあまり、
ボルテージが上がることでしょう。
②感動がない。
「気づいた人が使命者だね」
って言うのはこのパターン。
「たしかに必要とは思う!
できたらいいと思う!
でも!でも!
物理的に、精神的に
私が関わる分野じゃない!」
って思った時に
出てくる言葉だと思っています。
こういうパターンの場合、
諦めるんじゃなくって、
『各自の位置があるから、
この人には感動がないだけか。
なるほど。
私はこの人なら協力してくれる
って思ったんだけどなあー
神様は他の人とやってほしかったのか
もしくは私1人でやればよかったのか
私の考えと神様の考えは
やっぱり違うんだな〜』
と、
ゆるゆる考えとけばOKです。
<まとめ>
何が言いたいかというと、
「気づいた人が使命者だ」
って言葉は、
その時の環境と状況に照らし合わせて
自分に都合よく捉えたらいいと思います!
そんで、
「感動があるけど
自分だけでは不安だ…!」
って思いながら言ってみたら
②のように冷たく(?)言われた時!
その時は素直に
『手伝ってほしいんです』
って言いましょう!
じゃないと自分だけが
無駄に勇気を振り絞ったのに
ダメージを受けて終わるという
悲しい結末になってしまうので…!