「好き」って、案外軽く扱われる

自分の好みとか、「好き」って、確固たるものだと思っていたんですよ。
でも、ふとした時に「好き」って感情って結構薄っぺらいというか、風が吹いたら飛んでいきそうな儚さを持ち合わせていないか?って思うんですよね。

もちろん好きなものってたくさんあるんですけれど・・・。

学生時代に「こんなにいいものを他の人も好きじゃないわけがない!!」って思っていたものがあったんですよね。
ある日そのことを友達に話してみると同じボルテージでトークができなくて、すっごくショックを受けた覚えがあります。

でも、なんでそれが「好き」なんだろう?

同じものを見ても、ハマる人とハマらない人がいますよね。

ハマっていると何も言わずにそれに時間を投資するし、人に言われなくても調べたり、のめり込んだりしますよね。あれってなんなんでしょうね。

「好き」にも個性があるんじゃないか。
同じものでも、人の気持ちや性格や状況にピッタリハマるかハマらないか。
それだけの違いじゃないかって思っています。

「好き」にもその人の感性や個性が現れているんだろうなって思います。

才能は「できること」だけなんだろうか

才能って聞くと、『人より上手くできること』を想像しませんか?
プロ選手とか、プレーヤーとか、たくさんお金を稼いでいる人とか。
歌が上手いとか、絵が上手いとか、計算が速いとか、人をまとめるのが上手いとか。
「できること」って才能なんだと思います。

でも、「好き」にその人の感性や個性が現れるのだとしたら。
「何に心が動くのか」も、その人を形づくる大切な要素で、それが才能に繋がっていくことなんじゃないかと思うんですよね。

同じ仕事をしても、私は企画を考えることが面白いけれど、誰かは数字を綺麗に整理することに面白さを感じる。
同じ音楽を聴いても、私は音が好きだけど、別の人は歌詞に惹かれる。

そういう「なぜかここに惹かれる」の積み重ねが、その人が伸ばしていくものを決めていることもあるんじゃないでしょうか。

そう考えると、才能は「今できること」と、「できるようになりそうなポテンシャル」を含めて才能なんじゃないかと思います。
これから力を注いでいける方向まで含めて「才能」を考えていけるなら、世界は意外と「天才」「奇才」で溢れているのかもしれませんね。

「好き」だけでは、才能の種でしかないけれど

好きでも練習しなかったら上手くならない。
好きでも向いていないこともある。
逆に、別に大好きではないけど得意なこともある。

就活や自己分析でよくぶつかる壁ですよね。

ここまでアウトプットしたことを踏まえると
好き × 経験 × 努力 × 個性
がある程度重なったときに、「その人の才能」と呼べるものが育っていくんじゃないか。

そのために、自分の好きなものを辿っていく。
そうしたら自分が何に心を動かされる人間なのかがわかってくる。
その先に、努力をしたくなるものが見えてくる。
続けていたら、いつの間にか自分の武器になっている。

私自身、振り返ってみるとそうやってできるようになったことがたくさんあります。

おわりに:「好き」をちょっと大事にしてみる

「好き」だからといって、それが才能になるとは限りません。

でも、なぜそれが好きなのか。なぜそこに心が動くのか。
その小さな「好き」を辿っていった先に、自分でもまだ知らない個性や才能が眠っているのかもしれません。

風が吹いたら飛んでいきそうな「好き」だからこそ、少し立ち止まって、大事に眺めてみたいですね。

神様が私にどんな個性をくださったのかを知りたいなら、「何が得意なのか」だけではなく、「私は何に心が動くんだろう」と考えてみるのも、一つの方法なのかもしれませんね。

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 企画職やってます。多趣味な人間。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。