雑記

「楽しい」を究めていたら神様にたどり着いたんだ

この記事の続編かと思われる。

 

<神様が自分にくださった絶景ポイント=個性>って何だろう?

って考えていたら思い出した。

 

 

 

 

私の人生の大きな目標の1つが

『この世の全てを”味わい、楽しむ”こと』でした。

 

 

 

でした。

 

 

過去形だったのは

「<信仰生活>しているからなんかあんまり楽しんじゃいけないのかなあ🤔」

とかここ5年ずーーっと考えていたんですよ。

 

 

 

 

・・・完璧に自分勝手な考えだった。

「人生自粛しろ」だなんて神様は一言も言ってないわ。

 

 

 

 

 

『私はこの世の全てを”楽しむため”に生きている!』

もうね、これが、今の私を作り出し、神様に出会うようになった大事なマインドだったなって。

思い出した。思い出した。

 

 

 

 

辛いことも悲しいことも苦しいこともあって、

「笑顔で生きている奴が最強だ」と思うようになって、

「なんでも笑い飛ばしてやれ」「なんでも楽しんでやれ」って思って、

「すべて楽しむこと」を究めていったんだ。

 

そうやって勉強だって部活だって遊びだって楽しみまくった学生時代。

そしたら大学生になって「限界」にぶつかった。

使うお金の規模は変わるから面白く感じ続けることはできるけれども、<真新しい何か>にはもう出会えないのかもしれない。

質がいいこと、規模が大きいことはできるかもしれないけれど、<初めてのワクワク>にはもう出会えないかもしれない。

「楽しい」と思っていたことが急に「虚しく」感じるようになった。

 

 

 

「今まで生きてきた20年の何倍もある人生を、どうやったらこれまでのように楽しめるのだろう」

 

 

 

 

 

そうやって考えていた時に出会ったのが神様だった。

 

 

意外な角度だったけれどでも全部解いてくれた。

聖書を学び始めたのは「好奇心」からだった。

教えてくれる人に対して「この人はちゃんと教えてくれそうだ」と思えた。

「これは最後まで聞かなきゃ」と勘が働いた。

 

 

そうしたら。

 

「楽しんでやる」と決心するに至った苦い思い出も、

笑顔が見たいのに見れない友達の家庭環境の原因も、

楽しむにはあまりにも窮屈な日本社会も、

なんでこうなったのか、なんでどうにもならないように思えたのか、

(少なくとも私が関わってきた事柄に関しては)全部わかった。

 

 

この世界を創った神様が何を思って地球と私たちを創ったのか、

それに対して人間はどう行なってきたのか、

歴史がわかれば今が見える。

聖書を学べば”私と私の周りの今”が見えたのです。うん。

 

 

 

 

そして、

”楽しいを究め続けられる方法”を見つけた。

 

『永遠な存在者、神様と共にすること』

 

 

 

 

 

宗教って聞くと「あれしちゃダメ」「これしちゃダメ」みたいなイメージ強くないですか??

私はそう思っていたんですよね。自分が宗教というものに所属するようになってからも。

でも違っていたんですよ〜〜〜。

 

 

いやもう神様も本当太っ腹よ???

『特別な罪じゃない限り何やってもいい』って。

それもう本当自由じゃん!!!やったね!!!

※「これだけはやっちゃダメ」って脳に言い聞かせるより「ここからこれは全部!やっていい」って考えたら、結果余計なことをやらなくて済むよね。言葉遣いうまいですね。

 

 

今日の朝の御言葉タイムでも

「新しいことだから好奇心で喜んで疲れずやったのです。

だから皆さんも信仰の中で新しいことをやらなければなりません。」

だってさ!!!!最高じゃない?

 

 

 

もうおかげさまでバリバリテンション上がっております私。

なんでもできる〜!!

神様はちゃんと良心が働くようにしてくださっているので、人としてやったらあかんこと、社会的にもやったらあかんことはできないように導いてくださりますからね!!

それでもやってしまう時は<自分の考え>が悪い。その時は諦めるんじゃなくて、御言葉で認識を正しくしたらいい。

やな予感がしたらやらなければいいだけで。

神様から見ても自分から見ても楽しいことができればいいのさ〜〜!

 

 

 

と言うことで、<全てを楽しんでやる期>のセカンドシーズンがやってまいりました。

ファーストシーズンは私が一人で好き勝手あれもこれもやってきましたが、

セカンドシーズンからは神様が一緒です!!!!

そして人生全てをかけても楽しみきれないぐらいの大きな目標ができました!!!

 

『もう一人の自分である霊体を素敵に作り上げること!!!!』

 

もうね、これは今すぐみんなに気づいてほしい<最高の人生の楽しみ方>なんですよ。

 

 

 

霊の記載はちゃんと聖書にありまする。

コリント人への第一の手紙15章44節

のからだでまかれ、のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

あとはね、ここ。

テサロニケ人への第一の手紙5章23節

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。

 

 

これはね、勿体ぶるのでもなく、マジで学ばないとわからない。

自分が痛感しないとわからない。<自分の霊>がいたんだ!!!って。

その霊は「うらめしや〜〜」的な存在じゃなくて、神様が最高の愛を持って創造された霊だってこと。

 

 

今後、『神様と共に生きる生活が最高に味がある』ってこと、魅せていけたらいいな〜って思いましたとさ!

アホみたいに楽しもうとしているからって信仰生活を捨ててるわけじゃないからね〜!!!と最後に弁明はしておこう。笑

ABOUT ME
でんでん
神様の次にベースが大好きなキリスト教福音宣教会の関西人。 INFP-Aの内向型人間。営業に片足の太ももぐらいまで突っ込んでる企画職。神様の「愛」・「赦し」を表現するサウンドクリエイターになりたくて色々奮闘中。